富士館,浅草日活劇場(浅草区浅草公園)



富士館(浅草区浅草公園)
劇場、映画館
浅草富士館 全景 浅草富士館 観覧席 浅草富士館
設計/僊石政太郎
施工/清水組
工期/昭和2年5月−昭和2年12月

復興建築の世界
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富士館は、戦時期に入るまで一貫して日活作品の封切館であった。
『ミスター・ニッポン 前後篇』(村田実監督)、1931年3月20日封切初日の盛況。
March 20, 1931.

MOMAT
http://www.momat.go.jp/fc/digital-gallery/dg20130628_003/





1942年4月。上映作品は映画配給社による紅系第1回封切作品『緑の大地』(東宝、島津保次郎監督)。
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kmrt@kmrtwit
日活直営、浅草日活劇場はスゴイ。
1927年に富士館として新築された当時の写真である。
1947年に改称、1973年に閉館、1986年までは建物は残っていた。
閉館以降の浅草日活は浅草東映に小さく間借りしていた。

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1928
古風な博覧会
萩原朔太郎
かなしく、ぼんやりとした光線のさすところで
円頂塔(どうむ)の上に円頂塔(どうむ)が重なり
それが遠い山脈のほうまで続いているではないか
なんたるさびしげな青空だろう
透き通った硝子張りの虚空の下で
あまたのふしぎなる建築が格闘し
建築の腕と腕が組みあっている
このしづかなる博覧会の景色の中を
かしこに遠く、正門を過ぎて人々の影は空にちらばる
なんたる夢のような群衆だろう
そこでは文明の不思議なる幻燈機械や
天体旅行の奇妙なる見世物をのぞき歩く
さうして西暦1810年頃の巴里市を見せるパノラマ館の裏口から
人の知らない秘密の抜け穴「時」の胎内に潜り込む
ああ、この消亡を誰が知るか?
円頂塔(どうむ)の上に円頂塔(どうむ)が重なり
無限にはるかなる地平の空で
日差しは悲しげにただよっている
―萩原朔太郎詩集,1928年初刊,
―日本の詩歌11-萩原朔太郎,中公文庫,1978年刊,

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1930年代の浅草
若草、花埃、たまだれ、雛菊、甘納豆、湯の花、里みやげ。。。
私は読むともなくそれらを読んだ。
雛段へでも飾るにふさわしい、色とりどりの日本菓子の名前だ。
フルウツゼリイ、キャラメル、チゥインガム、チョコレートなぞと、ガラスの中にならんでいるのだ。
地下鉄食堂の一階の売店だ。
そのお土産売り場の左が料理の見本棚。
   ご飯・パン・コォヒ・紅茶・・・5銭
   レモンティ・ソォダ水・・・7銭
   アイスクリィム・ケエキ・パインナップル・果物・・・10銭
   エビフライ・ライスカレェ・お子様料理・・・25銭
   ビフテキ・カツレツ・コロッケ・ハムサラダ・・・30銭
   ロォルキャベツ・ビィフシチュウ・・・30銭
   ランチ・・・35銭
「まあ、高いわ、およしになってよ。」
右のほうにエレヴェタァと並んで食券売り場だ。
「食べなければ、塔に登っちゃいけないってわけではないでしょう。
ほら御覧なさい。ちゃんと書いてある。
-地下鉄塔40メェトル、ご自由にお上りください」。
エレヴェタァの中は金梨地の蒔絵のようだ。
「いやだわ。定員13人だって。3年に250円で一日いくらにあたりますの?
上につくまでに暗算してよ。
これを買ったお菓子屋、年季奉公ですって。
3年250円だから、1年85円33銭3厘3毛、1月7円足らず。あら、もう6階なの?」。
-川端康成,浅草紅団

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【動画】「Koshu Saho Tokyo Kenbutsu (1926)」

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