[東京銀座]三菱ケ原


大正10年(1921年)
日比谷今昔-三菱ケ原
明治27年(1894年),三菱ケ原の草原の二重橋通り真ん中にただ一軒,赤煉瓦の西洋館ができた。
それがすなわち現在の三菱銀行で,曽根工学博士の設計。
工費タッタ20万円。
これが本当の草分けで,これ以来一戸建ち,二戸建ち,いわゆる三菱村の地内には大正10年,三菱所有のビルが28,
借地して外来者の建てたものが12,合計40の高楼には約400の事務所と10500人の就業員を擁し,不夜の電燭,不断の自動車,
わが国商工界の神経中枢として一坪10円の土地はいまやその1000倍にも上ろうとしていた。
まだ多少の空き地があるものの,建坪をあたってみると,
明治42年(1909年)に約10000坪,
大正3年(1914年)に約20000坪,
大正8年(1919年)に約24000坪
とふえ,なお大正13年(1924年)までに予定されるものを加うれば,総建坪135000坪に及んだ。
-矢田挿雲,江戸から東京へ,中央公論社

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