1980
1987(昭和62)年、葉桜の頃の京都高瀬川や五条周辺です。
任天堂本社建物を発見して撮影しています。この頃はファミコンが出た頃ですが、それより京阪電車が疎水端を走っていたのが、5月24日に地下線に切り替わります。
1か月前で撮影しておこうと思ったのでしょう。写真を見て全然人が写っていませんが、当時の京都市内は、四条河原町周辺以外は、静かな町でした。
最後の東山七条バス停前の木造市場は、私の気に入りで、こんな場所の2階に住んでみたいと、若い頃から考えていました。
昭和って2時代前になりました。この辺の写真は全部自家現像で、プリントも焼いていました。10年前からスキャナーで取り込みを始めて、ほぼ終わりかけたら、コンピュータがダウンして、今復旧を面倒ですが、楽しんでおります。
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任天堂創業地の旧本社ビルがホテルに 築90年、趣ある外観残して改修
1/10(金) 9:00配信
#ゲームセンター
ホテルとして改修される任天堂の旧本社ビル(京都市下京区正面通木屋町東入ル)
任天堂(京都市南区)の創業の地に残る旧本社ビル(下京区)が、ホテルに生まれ変わる計画が9日までに分かった。
かつて花札やトランプを製造し、世界的なゲームメーカーへと成長した任天堂の原点の建物で、地域住民の愛着も深い。趣のある外観を極力残して改修・増築し、2021年夏の開業を目指す。
ビルは、鴨川と高瀬川の間に位置。西側には東本願寺の飛び地境内「渉成園(しょうせいえん)」(枳殼(きこく)邸)があり、任天堂創業家の資産管理会社「山内」(下京区)が所有。1930年築で、59年に東山区に移るまで本社機能を担った。建物には今も「トランプ・かるた製造元 山内任天堂」の看板が残る。ゲーム事業の拡大に伴い、2000年には現在の南区上鳥羽に本社を移転した。
開業するホテルは、安藤忠雄建築研究所が設計を監修。国内外でホテルやレストランを運営する「Plan・Do・See(プラン・ドゥ・シー)」(東京)が開発、運営を担う。
計画では、建物を改修、一部増築して客室数約20室のホテルとする。宿泊者用のレストランやジム、温浴施設などの設備も想定している。21年春には予約受付を始める予定だ。
任天堂によると、所有企業の山内は
「歴史のある建物を将来にわたり保存・継承するため、ホテルとして活用する」
と説明しているという。旧本社ビルの向かいで婦人服店を営む女性(80)は「昔は女性従業員がかるたをそろえるカンカンという音が建物から聞こえてきた」と懐かしみ、「重厚感のある立派な建物に愛着を持っていた。ホテルになっても、残るのは良かった」と話した。
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