[東京新宿] 新宿文化劇場




[東京新宿] 新宿文化劇場
2008/11/15
葛井欣士郎+平沢剛『遺言 アートシアター新宿文化』 
葛井欣士郎+平沢剛『遺言 アートシアター新宿文化』(河出書房新社)読了。
一昨日も一部をとりあげたが、ようやく読了。既に書いたとおり、アートシアター新宿文化の支配人、葛井さんに平沢さんがインタビューして、60~70年代のアートシアターで沸き起こっていたアート状況を詳細に紹介して、興味が尽きぬ約400ページ。
1962年、『尼僧ヨアンナ』を皮切りに幕を開けたアートシアターの歴史は、葛井さんと共にある。当時37歳。60年代カルチャーを率いた旗手としては、やや高齢というべきなのだろうか。その頃、若さの真っ只中で激動のアート環境を生きた方も、今では83歳というご高齢であることに、とにかく驚く。そんなに昔のことなのか?
当時、アートシアターを拠点とした「若者たち」。たとえば大島渚(現在76歳)、篠田正浩(現在77)、吉田喜重(現在75)、蜷川幸雄(現在73)、唐十郎(現在68)・・・。彼らより若干先輩。ご活躍当時、親しく接したという三島由紀夫と、何と同じ年齢である。
よくわかっていなかったのだが、葛井さんはATGの所属だったのでなく、あくまでも三和興行の社員であり、劇場の支配人だったということだ。葛井さんの裁量で、上映・上演作品が決まり、「気分」を盛り立てていく。
こういう人は本当に偉人だと思う。きっとアートシアター新宿がなければ、当時から今に至る日本のアート環境はひどく貧しいものだったに違いない。
何しろ激動の60~70年代新宿のこと。エピソードには事欠かない。
若松プロの『赤軍派―PFLP世界戦争宣言』上映にあたって、警察から上映中止を言い渡される。集まった観客に、それを伝えるが、当然劇場主として吊るし上げをくう。
そのとき、蠍座(地下の劇場)には、若松孝二も足立正生もいたはずなのと(「よく覚えていない」らしい)、大島渚もいた。しかし三島由紀夫だけは、木刀を持って「俺が出てく!」と。「葛井さん! 俺が助けてやるよ!」と飛び出ようとしたという。まさに活劇だ。
実現しなかった企画も興味深い。なんと黒澤明もATGで撮るべく相談を重ねていたそうだ。自殺未遂でだめになったそうだが。
それに、これが実現していたらすごいものになっていた! と思わず興奮するのが、『豊饒の海』4部作の映画化として、『春の雪』実相寺昭雄、『奔馬』篠田正浩、『暁の寺』吉田喜重、『天人五衰』大島渚、による連作などというとんでもない証言だ。
そんなものが実現していたら、確実に日本映画の歴史は変わっていた。
この人の偉いと思うところは、たとえば大島渚は『夏の妹』を最後に、もっとビッグバジェットで撮るべき人だと、ATGからの飛躍を願う姿勢だ。
そんな葛井さんが、ATGの中でこの3本といえば、『絞死刑』『儀式』『戒厳令』なのだそうだ。うむ。
     
Incidents(偶景)






銀座文化
投稿者:寺吉
投稿日:2005年 7月30日(土)21時25分0秒
「燃えよドラゴン」を初めて見た映画館が「銀座文化」でした。
いわゆる二番館です。たまたま、サークルの先輩がそこでバイトをしていたので、無料で入ったのか、それとも入場料をキチンと払ったのか定かではありませんが、その映画館でB・リーの化鳥のような雄たけびを体験したのです。ちなみに、13号倉庫さんも、その時(74.9.18)一緒に見ていますよ。
でも、東京と言う街は、当時の映画狂貧乏学生にとっては有難い所でしたねえ。二番館、名画座……と、椅子はぼろかったけど、ロードショー公開時評判を呼んだ作品が、待てば何とか見ることが出来たんですから……
Re 銀座文化
投稿者:13号倉庫
投稿日:2005年 8月 5日(金)07時42分10秒
銀座文化も懐かしい映画館の一つですね。
開館は解らなかったのですが、昭和30(55年以降)年代には「銀座文化」と「銀座ニュー文化」という館名でした。それが「銀座文化1」と「銀座文化2」になったのは70年代の初めぐらいのようです。その後、87年に「銀座文化」と「シネスイッチ銀座」となり、97年に「シネスイッチ銀座1」と「シネスイッチ銀座2」となったようです。
しかし、何といっても、「ぎんぶん」と言っていた名画座時代ですね。映画を見る見ないに関わらず、銀座に行った時は、「銀座文化」の前を通るのが、一つの決まりとなっていました。例えば、テアトル東京に行く時には、行きは「丸の内東映」から「並木座」。帰りは、三越から三原橋(当時、銀座地球座、名画座。現シネパトス)を通って「松竹セントラル」、「東劇(新)」を回り、帰りに「銀座文化」を通って有楽町のパターンは定番でした。
 当時は、「銀座文化1」がロードショー(実はここで見た記憶が全くないのです)、地下に降りて行く「銀座文化2」が名画座でした。
 実は、寺吉さんも書かれているように、先輩がバイトをしていたので、料金を払って入った記憶がほとんど無いのです。「銀座文化2」の番組自体も、こまめに歩けば、池袋や大塚で充分こなせる番組でしたので、自分にとっては、それほど重要な映画館ではなかったような感じもします。それでも、あの下に降りて行く階段には妙な印象があって、あそこを降りてゆく時は、映画を見なければいけないような雰囲気にさせてくれる、不思議な階段でした。
「銀座文化」や「並木座」等、銀座の裏通りは結構面白くて、場外馬券売場の近辺とかは結構、ワクワクしていました。昔の話ですが、歌舞伎関係が強い古書店でキネ旬などがかなりお得な価格で大量に置いてあったのを覚えています。後、銀座温泉だったか、東京温泉だったかはもう無いでしょうね……
画像は銀座文化の3月上映案内(年不明のウラ面)。シネスイッチになっても多少面影があるかもしれません。

想い出の映画館
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