[動画][TV] 西部警察シーン集~追悼渡哲也/大門軍団






[動画][TV] 西部警察シーン集~追悼渡哲也/大門軍団
人気再燃の西部警察 「マシンX」に憧れた人多数 いま復活の名車達(くるまのニュース)
西部警察の特別捜査車両「マシンX」はどのような経緯で誕生したのか
2020年8月、昭和の大スターの1人である渡哲也さんが亡くなった。世代によって思い出はそれぞれだが、40代から50代にとっては1979年から1984年にテレビ朝日系列で放送された「西部警察」で演じた大門圭介のイメージが強いと思います。    西部警察の内容や今では再現不可能な爆破シーンやカーチェイスなどは、さまざまなメディアで報じられていますが、ここではクルマメディアならではの情報をお届けします。    それは番組に華を添えた「特別機動車両」の存在です。実は筆者(山本シンヤ)は、これらの車両の開発を担当した福田正健さん人に製作の経緯や苦労話などをお聞きしました。 【画像】激レア!? お宝過ぎる当時の写真をささっと見る!(15枚)
通称ジャパンといわれる日産「スカイラインターボ」がベースの「マシンX」
最初に紹介するのは大門軍団に初めて導入された特別捜査車両「マシンX」です。 ――西部警察の車両の開発を一手に引き受けたのが福田さんですが、どのような経緯で開発依頼が来たのでしょう? 福田:劇用車の依頼を受けたのは石原プロモーション(以下石原プロ)のスポンサーである日産自動車でした。  恐らく宣伝部に連絡が来て「このようなクルマを作れませんか?」といった感じだったのでしょう。  しかし、日産自動車は大量生産の物作りのノウハウはありますが一品対応となると話は別です。そこで日産自動車から「スカイラインだから」ということで我々の会社(日産プリンス自動車販売)に日産の宣伝課からオーダーが来ました。  私は一品対応のオーダーメイド車両開発をおこなう「特車課」に所属しており、その流れで引き受けたというわけです。 ――石原プロからはどのようなオーダーが? 福田:記憶は定かではありませんが、実は具体的な指示はなく「とにかく派手なことをしたい」といわれましたね。 ――最初は「スカイラインターボ(ジャパン)」がベースの「マシンX」です。 福田:そもそも具体的なオーダーがないので、私が「このようなシーンでこんな装備があったらいいよね」と考え、「それを実現するには?」と形にしていきました。 ――マシンXは52種類の特殊装備が特徴でしたが、何か思い出に残る機能などは? 福田:凄いクルマであることを印象づけるために、とにかく「画面映り」を気にしました。  最高速は240km/hという設定でしたが、それをアピールするにはインパネのスピードメーターとは別にメーターを配置。  実際に240km/hは出ませんがメーターの動きはリアルにしたい。そこでスピードメーターのギア比を倍にして100km/hのときに200km/hと表示するように。タコメーターもシッカリ連動させリアルさにもこだわりました。 ――助手席側に設置された大型コンピューターやカメラ、サーチライトは? 福田:飛行機のコクピットをイメージしてさまざまなスイッチや無線機をレイアウトしています。各スイッチにはシッカリと機能表示も入れ、無線機も全周波数が傍受できる商品を選択しました。また、犯人の軌跡を表示するためにセンターに小さなブラウン管も装着しました。 ――機能はもちろんですが、ディテールもかなりこだわっていたように思います。 福田:当時は仕事として一生懸命でしたが、モノ作りをする者として「嘘でいいのかな?」という葛藤もありました。なので、さまざまな機能は例え言葉だけであっても、できるだけ嘘にならないように。  自動車電話も当時はインターフォンを元に製作しましたが、今後出てきそうな雰囲気はありました。ちょうどリアルと空想の狭間の時期だったのかもしれませんね。  石原プロは「とにかくド派手に」、ましてや「マシンガンの装着」などといわれましたがが、弊社はスカイラインを扱っていますので、「クルマのイメージを悪くしたくない」という想いがありました。  そこで攻撃用のアイテムではなく、「発信ペイント」や「レーダー」など犯人の追跡に役に立つアイテムをメインに採用。シフトノブのボタンで作動する発信ペイントは本物の現金輸送車が使っていた「ペイントボール」がアイデアで、ペイント自体が信号を発信することで居場所が特定できるという設定でした。

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渡哲也さんに贈られた百恵さんのマイク 三浦友和が真相語る
8/26(水) 16:00配信
引退コンサートで白いマイクを握る山口百恵さん(1980年10月)
今年7月に肺炎のため亡くなった渡哲也さん(享年78)。昭和の伝説的な歌手・山口百恵さん(61才)との、知られざるエピソードがある――。 【写真】伝説の白マイクの真相を明かした三浦友和
《もう私には必要ありませんが、渡さんがいつかステージで歌われるとき、どうか使ってください…》  1980年10月、百恵さんは日本武道館の引退コンサートで『さよならの向う側』を歌い終え、ゆっくりとステージ中央に白いマイクを置いた。  翌1981年のクリスマス。百恵さんは夫の三浦友和(68才)と渡さんの家を訪れ、冒頭の言葉を記した手紙とともに、その白いマイクを贈ったという。石原プロ関係者が言う。 「しばらく石原裕次郎記念館(北海道小樽市)に飾られましたが、百恵さんの周辺から“私的なプレゼントなので展示は控えてほしい”と伝えられ、渡さんの手元に戻ってきたそうです」  一方で、「白いマイクは三浦家にずっとあった」という説もある。 「長男の三浦祐太朗(36才)が2019年7月、『金スマ』(TBS系)に出演した際、マイクはリビングのショーケースに入っていて、それで歌真似をして遊んでいたと話しました。貴重なものにもかかわらず、特に叱られなかったそうです。その価値に気づいたのは思春期に入ってからだと語り、笑いを取っていました」(テレビ局関係者)  伝説のマイクの行方を知る三浦友和にどちらが真相か尋ねると、「両方とも存在しているんです」と意外な答えが。 「実は、コンサート当日に使ったマイクは何本かあるんです。基本はすべて自宅で保管していますが、唯一、渡さんだけにその中の1本をお渡しさせていただきました。『西部警察』で初めて共演する前から、私たち夫婦は渡さんのファンでしたから」
とはいえ、多くの人の記憶に残るのは、ステージに置かれた“伝説の白マイク”。改めて三浦に聞くと、 「自宅にあるのと渡さんに贈ったマイクのどちらがステージに置いたものかは、よくわからないんです。同じようなマイクなのでね」  とのこと。行方がつかめないのも伝説たる所以かもしれない。 ※女性セブン2020年9月10日号

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俳優の渡哲也さんが死去、78歳「静かに送ってほしいという強い希望」
BLOGOS しらべる部
2020年08月14日 20:00
テレビドラマ「西部警察」などで人気を集めた俳優で、石原プロモーション元社長の渡哲也(本名・渡瀬道彦)さんが10日、肺炎のため亡くなった。78歳だった。
石原プロモーションは14日、「渡哲也 逝去 関するお知らせ」とする文書を公開し、次のように綴った。
長きにわたり病との戦いの末去る令和2年8月10日 午後6時30分に肺炎のため 享年79をもって都内の病院にて旅立ちました。ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
葬儀については、静かに送ってほしいという本人の希望により「本日、家族葬というかたちで執り行わせていただきました」と説明している。
渡さんは兵庫県淡路町(現・淡路市)出身で、青山学院大在学中に日活にスカウトされた。昭和40年に映画「あばれ騎士道」でデビューし、日活のアクションスターとして人気を集めた。
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— 石原プロ (@ishiharapro1) August 14, 2020

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半世紀以上にわたり活躍 俳優の渡哲也さん 10日、肺炎で死去 写真特集
8/15(土) 6:02配信
映画「無頼」シリーズやテレビドラマ「西部警察」シリーズなど数々の映画やドラマなどで活躍した俳優の渡哲也(本名渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)さんが10日午後6時30分、肺炎のため死去した。78歳だった。半世紀以上にわたり、第一線で精力的に活動し続けた生涯を共同通信の記事を基にまとめ、写真で振り返る。(47NEWS編集部)  渡さんは1941年生まれで、兵庫県淡路島の出身。青山学院大在学中にスカウトされ日活に入社した。2017年に亡くなった俳優の渡瀬恒彦さんは弟だった。1965年の宍戸錠さんとダブル主演した日活映画「あばれ騎士道」でデビュー。石原裕次郎さんや小林旭さん、宍戸さんに続くアクションスターとして売り出された。  吉永小百合さんと共演した66年公開の映画「愛と死の記録」が評判を呼び、ブルーリボン新人賞を獲得する。68年の「無頼より・大幹部」から始める「無頼」シリーズ6作品は日活時代の代表作となった。
71年に日活を退社。憧れていた石原さんが設立した石原プロモーションへ移籍する。その後も深作欣二監督の「仁義の墓場」や「やくざの墓場 くちなしの花」などに主演。演技派として評価を高めた。  
87年に石原さんが亡くなると、石原プロモーションの社長に就任した。石原プロは先月、来年1月で半世紀以上の歴史に終止符を打ち、俳優のマネジメント業務をやめて著作権管理などに専念することを発表していた。  歌手としても73年に発売した「くちなしの花」が90万枚を売り上げる大ヒットとなり、74年と93年の「NHK紅白歌合戦」に出場した。  テレビドラマにも数多くに出演。76年から79年にかけて放送された「大都会」(76~79年)で主演。79年に始まった「西部警察」シリーズでは、角刈りにサングラス姿が印象的な「大門団長」を演じた。ともに派手なアクションや銃撃戦で刑事ドラマの一時代を築いた。  長年の活動が評価され、2005年には紫綬褒章、13年には旭日小綬章を授章した。
華々しい経歴の一方、病気に悩まされ続けた人生でもあった。1974年に放送されたNHKの大河ドラマ「勝海舟」の主役に抜てきされるも、収録中に胸膜炎になり途中降板した。  91年、直腸がんであることを公表した。切除する手術を受けた際に人工肛門を付けることになった。97年には悪性の大腸がんが見つかり切除。2015年に、急性心筋梗塞で緊急手術を受けた。近年は肺気腫や呼吸器疾患からの回復を目指しリハビリに励んでいたという。

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テレビのヤラセを楽しんだ時代 UFO特集、オリバー君など
7/20(月) 7:05配信
『発掘あるある大事典』では社長が辞任(関西テレビ経営陣。写真/時事通信フォト)
今年5月に急逝した女子プロレスラーの木村花さん(享年22)が出演していた恋愛リアリティ番組『テラスハウス』(フジテレビ系)。花さんは放送中、同居男性に罵声を浴びせたことでSNSを中心にバッシングを受けたが、この木村さんの言動は「番組スタッフからの指示だった」と母親がBPO(放送倫理・番組向上機構)に人権侵害の申し立てをするなど(フジ側は指示を否定)、騒動は収まる気配を見せない。
直後にドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(フジ系)でも、出演者が「台本を渡された」と告白。「テレビとヤラセ」の問題がクローズアップされている。
「テレビは変わってしまいました。一昔前のテレビは人を傷つけるような演出を強いたりはしなかったし、そもそも作り手側が“リアリティ”という言葉から距離を置いていましたからね……」
そう嘆息するのは、『世界まる見え!テレビ特捜部』や『恋のから騒ぎ』など、数々の人気番組を手がけてきた元日本テレビプロデューサー・吉川圭三氏である。
「私が入社する前の話ですが、大橋巨泉さんが司会を務めた『11PM』(日テレ系)では、定期的にUFO特集を組んでいました。ディレクターの矢追純一さんが『UFOを呼べる』という外国人を連れてきて、日テレの屋上で、徳光和夫さんに実況させました。すると、『青白い物体が近づいて来ました!』。もちろん正体は飛行機でした(笑い)。
ある時、番組スタッフが統括プロデューサーに『今日、UFOを呼ぶんだって? 役員室を押さえておいたから』と言われたので見に行くと、『宇宙人ご一行様』と書いてあったそうです。そんな洒落が許された時代でした」
1973年スタートの『木曜スペシャル』(日テレ系)には、念力でスプーンを曲げる超能力者ユリ・ゲラーが登場し、日本中がスプーン曲げに夢中に。「人とチンパンジーの中間に位置する未知の生物」という設定のオリバー君も話題を呼んだ。視聴者は「そんなわけないだろ?」と眉に唾をつけながらも、仰々しい演出を楽しんだ。
「当時、テレビは怪しく、いかがわしいものだった。作り手と視聴者が共犯関係にあり、双方が怪しい箱を楽しんで開けていたんです」(吉川氏)
※週刊ポスト2020年7月31日・8月7日号

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堀井憲一郎: 「石原軍団」の解散が意味する深い背景~「豪快さ」が消えゆく社会の象徴
「石原軍団」の解散が意味する深い背景 「豪快さ」が消えゆく社会の象徴(堀井憲一郎)
■「石原プロ」が世に送り出した傑作たち
石原プロが俳優マネジメントを辞めると発表した。 「石原裕次郎」という看板を下ろす、ということのようだ。
年配の人たちには、ひとつの時代が終わったと感じられたのではないだろうか。 石原プロといえば、ひとつの代表作は『西部警察』である。 ド派手な爆発シーンなどを売り物にしたテレビドラマだった。 いろんなものが爆発するし、都会でも機関銃を撃ちまくっていた。 なかなか凄いドラマだった。 作られていたのは1979年から1984年の5年間。
いま、こういう金のかけ方をしたドラマは作られない(もっと別方向に金をかけている)。見てる者にも「いかにも大変な無駄遣い」とおもわせる作りであった。 それが楽しかった。そういう時代だったのだ。 もう少し上の世代だと、石原プロといえば映画『黒部の太陽』ではないだろうか。 三船敏郎と共同で、独立プロ制作の巨編として1968年に公開されたこの映画は、かなり話題になった。三船敏郎と石原裕次郎が並んで記者会見しているシーンを何となく覚えている。(当時、私は小学生だった)。 三船敏郎と石原裕次郎は小学生でも知っている大スターで、でも「役者」であるはずの二人が映画を作るというのがよくわかっていなくて、それでも何だか格好良くって、印象に残っている。新しい時代という気配を感じた。 おそらく「1968年」という年が持っている熱気のひとつだったのだろう。 その後1970年代の石原裕次郎といえば『太陽にほえろ!』のボスである。1972年から始まったこの刑事ドラマは国民的な人気番組となり、1986年まで続いた。 同時に並行して『大都会』『西部警察』が作られた(『大都会』シリーズは1976年から1979年)。
こちらでも重厚な存在で、ドラマを締める役どころだった。
■わざわざ「軍団」と呼ばれる石原プロの男たち
同時に彼のまわりには「石原軍団」と呼ばれる男くさい役者が集まり、一種独特の集団を形成した。「石原プロモーション」所属の役者たちが「石原軍団」と呼ばれたのだが、他の芸能事務所とは毛色の違う役者が多く、特殊な世界を築いていく。
「軍団」とわざわざ呼ばれる世界である。 何かしらの信念を抱いて、それを頑なに守っている男たちというイメージである。何を信じているのかは、あまりくどくどと説明をしない。あるタイプの人にはとても魅力的な集団である。 もともと石原プロが大事にしようとしたものは「映画」だった。 石原裕次郎は映画のスターだったからだ。
■絢爛たるスターだった昭和30年代の石原裕次郎
昭和31年(1956年)『太陽の季節』でデビューするや、瞬く間にスターとなり、毎年、何本もの映画に主演した。石原裕次郎の全盛期は、昭和31年から昭和37年(1956年から1962年)あたりだろう。この7年で60本もの映画に出ている。いまではちょっと考えられない。 当時は、かなりのペースで映画が作られていたのだ。
テレビが一般家庭に普及するのは「皇太子ご成婚」の昭和34年(1959年)からであり(それでも全世帯の半分以下)、だいたいの家にテレビがあると言えるのは東京オリンピックの昭和39年(1964年)少し前からである。 それまではドラマを見るかわりに映画を見ていた。いまより遥かに気軽に見ていたとおもう。家にテレビジョンセットがないのだからしかたがない。 だからスターの出演する映画が次々と公開され、人気だった。 そのころは「時間つぶし」で映画館に少し寄る、という選択肢があったのだ。「喫茶店」でヒマをつぶすことと同じように(それより少し長いバージョンとして)映画を少し見る、というものがあった。そういう気楽な娯楽だった。
■映画の途中から映画館に入る風習がふつうだったころ
私が子供のころ昭和40年代にはまだその空気が残っており、たとえば、何を上映しているのかも調べずにとりあえず映画館に行ってしまって、何本か上映してる作品の看板を見比べて入る、ということがふつうにおこなわれていた。時間もあまり気にしない。途中だろうと気にせずに入った。だいたい2本立てや3本立てなので、次の作品は頭から見られるし、もし時間があれば、途中から見始めた映画を最初から見直すということもあった。その場合、あ、このへんから見たな、と気付いたあたりで映画館を出るということをやっていた。 ただし、いつも必ずそうしていたわけではない。自分たちで見るときには新聞で開始時刻を調べて、最初から見るのがふつうだった。だいたい親が「映画でも行くか」と連れていってくれるときがそういう雑な見方だったのだ。映画黄金時代にふつうに映画を見に行っていた世代だからだろう。ときにそれを真似て、時間つぶしに映画館に適当に入るのを真似たこともあることにはあった。 こういう習慣がふつうだったことから考えると、製作側もかなり習慣的に製作していたのだろうと想像できる。もちろん力を入れた大作もあっただろうが、あいまに作られるやっつけのような映画もそこそこあったはずである。いまのテレビドラマでも、ああ、これは慌ててやっつけで作ったんだろうな、とおもえるものがときどきあるが、同じようなことだろう。やっつけで作るものがある程度まじってくるというのは、それはまた現場に活気があるということでもある。 石原裕次郎は、日本映画が続けざまにたくさん作られている全盛期の最後を支えたスターであった。
■映画界のスターがドラマ出演を始めた1970年代
そのころテレビ放映は始まっていたが、あまりまともにドラマは作られていない。 テレビ創世記のドラマは、生放送であり、映画とはまったく作りがちがっていた。生放送のドラマというものは、見方を変えれば寸劇コントみたいなものである。 石原裕次郎や三船敏郎らの映画界を支えたスターからすれば、あまり相手にするようなメディアではなかったのだ。 しかしやがてテレビが映画を凌駕するようになる。 量産体制で次々と作っていた日本の映画はあまり人を呼べなくなる。多くの人は日本の役者を見るのはテレビで済ませて、金を払って映画館でみるのは「洋画」にかぎる、という時代になっていくのだ。 たぶんテレビを軽視していたであろう三船や石原も、1970年代に入るとテレビドラマに出ることになる。 三船敏郎は自分の所属する三船プロ製作の『荒野の素浪人』に出演し、石原裕次郎もまた石原プロの『大都会』『西部警察』に出る。 ただ、どちらもずいぶんと映画ぽいドラマであった。かつて元気だったころの日本映画の空気を残そうとしているところがあったようにおもう。
■『西部警察』がみせた圧倒的な魅力
たとえばそれは『西部警察』によく出ているだろう。 装甲車でクルマを踏み潰したり、ヘリコプターを空中で爆発させたり、何台ものクルマをまとめて爆発させたり、迫力ある映像を売り物にしていた。 ある意味、無駄にしか見えない。ひたすら派手な「消費」が描かれていた。そんなにそこら中で爆発しなくても、事件は解決するだろうとおもうが、どかんどかんと爆発して、見てるほうはなんだか爽快になる。 おそらくそれが元気よかった日本映画の精神だったのだろう。 時代もまたバブルに入る前段階で、日本史上初めて、お上が民に「無駄遣い」をすすめた時期だった。時代の潮目が変わっていくころで、その空気と『西部警察』は合致していた。 彼らのもともとのメッセージは、存分に楽しんでくれ、というものなのだろう。 たとえば「映画館にいるあいだくらいは、現実のことは忘れなよ。ただただ、楽しんでいってくれればいいんだ」というようなものだったんじゃないだろうか。 それはテレビドラマになっても同じである。 石原プロの製作ドラマからはそういうメッセージを感じた。
「ドラマを見てるあいだくらいは現実のことを忘れなよ」というメッセージである。
「ただ、楽しんでくれ。細かいことは気にするな」ともいえる。細かいことは気にするなというのは、見ていて勝手に想像したメッセージであるが、豪快な映像作りはやはり細かいことにこだわってないのがふつうである。
■昭和の男が憧れていた「豪快さ」であふれていた世界
細かいことを気にせず、豪快に行動するのが、男らしくてかっこいいとそのころはどこかで信じていた部分があった。 いまとなればどうかとおもうが、そもそも時代が乱暴だったのだから仕方がない。昭和期の前半は、男であるかぎりは徴兵されて戦場に駆り出されて戦わされる可能性が高かった時代なのである。戦争が終わって軍隊が解散させられても、そういう時代に育った世代は戦後の社会を支えて元気で働いていた。そのころは社会にはまだ「豪快で細かいことを気にしない」のが良きこととされていた時代だったのだ。 いまとなってはわかりにくい男らしさが大事にされていた。 それはまた「男だけの乱暴な世界」を構築するのが男にとって楽しかったから、という側面もあるのだろう。
「石原軍団」には、石原裕次郎が日活のスターとして活躍していた時代の空気を、そのまま伝えたいという気分があったように感じていた。
■そして「石原裕次郎」の看板がおろされる
その軍団が消える。
2020年かぎりで、ある意味、解散することになる。 その後は渡哲也などが中心となって、流れを汲む集団が形成されるのかもしれないが、「石原裕次郎」という看板はおろされることになった。 おれが死んだら会社は解散しろと石原裕次郎は言っていたらしいが、その気持ちは何となくわかる。それがオトコの世界だからだ。 いまやシネマコンプレックスで映画を見るのがふつうだから「映画を途中から見始めて、そのあと見たところまでもう一度見る」ということはできない。2回ぶんの料金を払えば可能だが、もし友人を誘ってそれをやったらかなり変人扱いされるだろう。 石原裕次郎主演の新作映画を毎月のように見られたころとは時代が違う。 そのころに大事にされていたものは、どんどん後退していってるようである。
静かにひとつの時代の幕が下りるようだ。

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mediakatsuya:  ワイドショーは必要悪~その社会的機能について考える~勝手にメディア社会論
2013年05月18日
2013年05月19日
2013年05月20日
ワイドショーは必要悪~その社会的機能について考える
ワイドショーというのは、メディアを語る人間たちの間ではもっぱら「悪者」扱いされることが多い。スキャンダル、ゴシップ、バイオレンスを並べて、野次馬根性を惹起する「マスゴミ」の典型といった論調だ。「人の不幸は蜜の味」で、確かに、この出歯亀的な情報の放出は、ちょっとウンザリしないこともない。実にくだらない、といってしまえば、まさにそのとおりだ。
■ワイドショーを批判は自己言及になってしまう
しかし、どうだろう?だったら、見なければいいだけの話なのだけれど……事情は、必ずしもそうはなっていないようだ。なんのことはない、ワイドショーはそれなりに視聴率を上げているのだ。それを「腐りかけの奥様」(山下達郎”Hey Reporter”)だけが見ているという図式で片付けてしまうのは実に単純。ということは、ワイドショーを「マスゴミの象徴」みたいなモノのイイをしている御仁は天にツバしていることにならないだろうか?結局、ワイドショーを見ているのは「マスゴミ」といって批判している「あなた」ということになる可能性が高いからだ。つまり、お下劣、くだらないというのはあなた自身のことになる。
いや、そうではないだろう。ワイドショーが延々続けられるのは、むしろこういったニーズに何らかの必然性があるからと考えるべきなのだ。だから「マスゴミ、くだらない」「ワイドショーくだらない」と一刀両断するのは、要するに「思考停止」でしかない。
だったらワイドショーの社会的機能とは何なのだろう?今回はこれについて考えてみたい。
■ヒマつぶしの機能
人の足を引っ張ること、不幸を楽しむことを展開するワイドショー。その社会的機能として考えられるのは、先ずはコンサマトリーな側面、つまり「ヒマつぶし」だ。仕事で忙しい人間はともかく、多くの人間は一日のヒマをもてあましている。こういったヒマの相手をしてくれる他者が必要だ。だが、自宅に相手をしてくれる人間が必ずしもいるわけではない、というか普通はいない。そこでテレビがそういった人たちの「お守り」するわけだが、これが教養的なネタじゃ、堅苦しくてちょっとヒマつぶしにならない。だから、肩の凝らないものがいい。そして人にまつわるモノがいい。
ネタ提供機能
しかしこれだけならサスペンス劇場みたいなドラマや一般のバラエティ番組も同様に該当する。だからワイドショーにはコンサマトリーな側面以外にも独自の魅力があると考えなければならない。それは……リアルな世界でのコミュニケーションを開く機能、いいかえれば「ネタ」としての役割だ。
われわれが他者と日常的なコミュニケーションを交わすとき、その中身はどうなっているのか?コミュニケーションというと、あたかも相互に「情報を伝達する」というイメージを浮かべがちだが、実はこれは誤りだ。日常生活でのコミュニケーションにおいて伝える情報内容は、実はほとんどと言っていいほど意味がない。これはわれわれが普段、他人とどういった会話をしているのかを振り返ってみるとよくわかる。ほとんど「どうでもいい話」なのだ。その典型はテレビについての話で、たとえば今日の朝ドラの話をすると言うとき、互いに伝え合う情報はほとんどない。互いにそのテレビを見ており、双方とも番組内容のことをよく知っているからだ。にもかかわらず、われわれは「今日の「あまちゃん」見た?」と、朝ドラの話で盛り上がる。
■コミュニケーションの本質は表出と共有
このとき、われわれが行っているのは「情報内容」の伝達ではなく、「情報内容をチェックしたという行為」の伝達となる。つまり「見たこと」という事実のみが情報伝達内容となるのだ。でも、なぜそんなことをやるのか?それはコミュニケーションが備える情報「伝達」以外の、そして最も重要な機能を利用しているからだ。これは二つある。ひとつは「表出」の機能だ。つまり、自分が「番組を見た」と言うことを相手に伝えると言う行為それ自体によってカタルシス効果を得ようとするのだ。人はコミュニケーション動物なので誰かと関わっていないと耐えられない。これは具体的には他者を目の前に置き、ことばを発することで達成される(モノローグ的なものもでもある程度のカタルシスを感じることができないこともないが、目の前に他者がいてリアクションしてもらうことでリアリティは倍加し、そのカタルシス効果は倍加する)。これは子どもが母親に今日の出来事を話するといったシチュエーションを思い浮かべてもらえばわかりやすいだろう。また、このカタルシス効果は翻って情報のもう一つの機能である「共有」機能を満たすことになる。前述したようにコミュニケーションにおいてわれわれが志向するのは他者であるが、さらにその他者との親密な空間の形成も志向する。こういった親密性を確保するためには相手とコミュニケーションするための共通の話題=ネタが必要なのだ。ネタは会話のきっかけを作り(お見合いで「ご趣味は?」とたずねるのは共有する部分を探ろうとするためだ)、また同じ情報を共有することでわれわれは他者の中に同質性を見る。これが親密性に結びつくというわけだ。さらに、こういったカタルシスを継続的に満たしてくれる相手は「いい人」であり、これを相互に行うことで親密性は一層高まっていく。ただし、こういったネタ提供機能は、ワイドショーだけに限った話ではない。前述したドラマ、テレビ一般、いやそれ以外のメディアもまたそういった機能を備えている。だが、表出と共有による親密性形成に、テレビは有効な機能を備えている、そしてその中でも格好のものがワイドショーなのだ。じゃあ必要「悪」としてのワイドショーの機能とは何か?次回以降、ワイドショーの社会的機能を他のメディアとの差異化を示し、その特性を段階的に絞り込むことによって明らかにしていこう。
■テレビとネットは異なるメディア機能を有する
近年テレビはしばしばオワコンみたいな言われ方をするようになった。お客をネットに取られ、どんどんジリ貧になっている。なおかつ頭脳流出も激しいのでコンテンツ自体もスカになり、垂れ流しているものはまさに「マスゴミ」化しているというようなモノのイイだ。たしかにインターネットの方がテレビよりもアクセス時間増加の傾向にあり、また視聴率はどんどん低落しているので広告収入も低下し、先細りであることは否めない。しかし、だからといってオワコンと言うことは決してないだろう。というのもネットは原則プル・メディア(ユーザー=受け手が主体的に情報を取り出すメディア)、一方テレビはプッシュ・メディア(送り手が大量の受け手に一方向的、垂れ流し的に情報を供給するメディア。受け手は受動的に情報を受け取る)だから、双方がかぶらない部分も当然存在しているからだ(もちろん重複している部分はあるし、その部分の多くをネットが持ち去っているからジリ貧なのだけれど)。テレビの基本的な機能は議題設定。つまり、まだあまり認知されていない事柄を広く周知させることにその本領がある。マスメディアだから一元的な情報を大量に流す。だから、たとえば商品を大々的に売り出したい場合にはテレビという媒体を使ってキャンペーンを繰り広げ周知させるのが手っ取り早いのだ。プル型のネットにはこれは無理だ。つまりテレビが周知させたものについて、それを援護射撃するというかたちが基本になる(もっとも、テレビが取り上げるネタを提供するのも最近はネットだが)。だからこそ、ソーシャルゲームを手広く広げるGREEやMobageが積極的にCM戦略を打っているわけだ(ネットだけで十分に周知されるならば、あんなにテレビでCM展開するわけがない。二つの会社ともネットとテレビのメディア性の違いをよく踏まえて、ああやった戦略を組んでいるというわけだ)。
■プッシュ機能がネタを提供する
このプッシュ型の機能がわれわれのコミュニケーション、とりわけ表出=共有の側面(「伝達」の他にコミュニケーションが備えるカタルシスを獲得し、他者との親密性を形成する機能。実はコミュニケーションの中心を占める)については大きな役割を果たす。まだメディアがそれほど発達せず、対面的なコミュニケーションが中心だった50年くらい前まで、人々はこの表出=共有コミュニケーションのためのネタを対人的な場から捻出していた。そしてそのネタとは互いが共通するネタ、突き詰めてしまえば相互に知っている他者についての話だった。ただし、そういった「よく知った他者」についての話は、結果としてプライベートの暴露ということになった。そして、それは当然ながら話をする自分の身にも降りかかってきた。つまり共通の知人のプライベートをネタにコミュニケーションを交わしていることは、自分がそこに居合わせないときには、今度は自分が共通の知人の立場に置かれ、プライベートがネタになったのだ。だからプライバシーは常態的に暴露され続けた。
だが、時代は変わった。言うまでもなくプライバシーは最も尊重されなければならない権利の一つとなったのだ。だから、おいそれと他人の話など口にすることはできない。ところが、それは表出=共有のためのネタ源を失うことを結果した。これではカタルシスや親密性を獲得できない。
そんなとき、共通の知人についてのプライバシーに関する話でネタになり、そのくせ自分は決して共通の知人としてネタにはされない、つまりネタ源を固定する格好の方法が現れた。それがテレビに登場する「共通の知人」つまりマスメディアに登場する有名人だ。対面的な場でコミュニケーションを交わす人間の間で有名人であるテレビに登場する人間をディスプレイ越しではあるが双方よく知っている。だから、これをネタにすればとりあえずこの表出=共有コミュニケーションの確保は可能になる。また、テレビがその有名人を頻繁に露出させ続けることで、ネタは継続的に提供され続ける。その一方で、ネタになる人物が交代することもない。つまり、プライバシーを暴かれるのはもっぱらディスプレイ上の向こうの人間。だから、自分たちのプライバシー暴露には抵触しない(いや、どころか隠蔽する機能すら果たす。メディア上の相手の話をしていれば、自分たちの話はしなくて済むからだ)。
こういったテレビの機能がプルメディアであるネットにはないことは明らかだ(もっともソーシャルメディアはもう一つのネタを提供口でもあるのだが、こちらについての考察は別の機会に譲りたい)。たとえば、他者との一般的な会話を交わすネタとしてインターネットから拾ってきたものをとりあげたらどうなるか?これは、ほとんどネタとしては機能しないだろう。プッシュメディアではないため一般に情報を認知させる機能をネットは持っていない。自分が知りたい情報をプルするネットは、原則、その情報が細分化されたトリビアルなものになるのだ。だから、そのネタを持ちだしても相手にとってはそれがネタとして共有することが限りなく難しいし、表出として相手が聞かされたら退屈なだけだ。いや、そんなトリビアルなネタを話せば「こいつヘン?」と気持ち悪がられるのがオチだ(これが有効なのはオタク的な同好の士の間でのコミュニケーションに限られる。そしてこういう場合にネットは大きな「ネタ提供機能」を有するようになる)。
というわけで、テレビは人権意識の高まりによるプライバシー意識の向上とインターネットの広がりによる嗜好の急激な多様化に伴うコミュニケーションネタの枯渇をヘッジするという役割をむしろ強く持つことになるのだ。そして、このテレビの機能、つまりネタ供給による表出=共有コミュニケーションの働きを最も効率的に達成可能にするコンテンツの一つが、実はワイドショーなのだ。
前回まではワイドショーが格好のヒマつぶしになること、現代人のプライバシー防衛と嗜好の多様化をヘッジするネタを提供する機能があることを指摘しておいた。ただし、これはある意味「テレビ」というマスメディア全般にも適用可能な特性でもある。だから、テレビの中でもワイドショーが備える特異な社会的機能=必要悪をさらに抽出する必要がある。そこで、最後にこの部分についてツッコミを入れてみよう。
話は再びテレビ≒マスメディアが備えるネタ提供機能に戻る。テレビからは容易に表出=共有コミュニケーション(「伝達」の他にコミュニケーションが備えるもう一つの機能。カタルシスを獲得し、他者との親密性を形成する)のためのネタを取りこむことが可能であることを前回は指摘しておいた。つまり、プッシュ機能(送り手が大量の受け手に一方向的、垂れ流し的に情報を供給する機能。受け手は受動的に情報を受け取る)によって多くの人間がテレビによる一元化した語りに接することになるので、容易にネタとして取り上げることができる。それによって対面の場で情報の共有が可能となり、互いの中に同質性を見出すことで親密性と連帯を感じることが出来るようになるということだった。
■ワイドショーは「悪口」を喚起することで強い連帯と優越性を容易に確保可能にする
そして、この機能にさらに拍車をかける、つまりいっそうの親密性と連帯を加えることを可能にするのがワイドショーなのだ。
これまたすでに述べたことだが、マスメディア発達以前、共同体の中で人々のコミュニケーションのネタは共通の隣人だった。ただし、自分がいない場合には自分がネタにされ、プライバシーが常態的に暴露される。だが、それでは人権意識の高いわれわれにとっては困る。そこで、現代では芸能人などのディスプレイ上の有名人をもっぱらネタの対象とすることで、プライバシーを維持しながら表出=共有のコミュニケーションを可能にする、というやり方が生まれたのだ。
さて、ワイドショーの必要悪としてのアドバンテージのポイントは「人をネタにしたコミュニケーションの構造はどうなっているか?」といったところに立ち入ることで見いだすことができる。かつてあった共同体で相手をネタとするとき、そのネタのほとんどは、実はネガティブなもの、つまり「悪口」だった。なぜ、そうなるのか?この構造は単純だ。われわれは他者とネタを共有し連帯感を得たい。ただし、このときそのネタを共有することでコミュニケーションを交わす双方がネタとなる相手に対する何らかの優越性を獲得できれば、一層カタルシスを感じることができる。そのためにはその他者との差異化を図ればいい。つまりネタとなる相手に比べて自分たちが優れていることを示せばよい。しかし、それは簡単なことではない。優越性を獲得するためには差異を示さなければならなければならないが、そのためには何らかの努力が必要となるからだ。そりゃ、しんどい。
しかし、簡単な方法がある。それが「悪口」だ。自分たちの優越性を誇示するのではなく、ネタの相手をこき下ろすことによって、結果として自分の立場が差異化され、努力なくして優越性を獲得することが可能となるのだ。自分をアップさせるのでなく、相手をダウンさせることで差異を獲得するという戦略だ。そしてこれを二人でやると連帯感はいっそうアップする。まず、ここまで述べてきたようにネタの共有による同質性で連帯感がアップ。さらに話をしている二人はネタになっている相手よりも優越性が高い。そして、それを確認することでもう一つ連帯感が加わるのだ。「あのバカな○○に比べると、私たちってイケてるわよね」ってなことになるのだ。ちなみに、これはコミュニケーションを交わす相手の数が多ければ多いほどその効果は高くなる。自分たちが多数派になり、話題の相手をこき下ろすことに、より正当性が感じられるようになるからだ。そして、これこそがワイドショーの得意とするところとなる。つまり、有名人のゴシップを取り上げこきおろす、犯罪事件を取り上げ、そこに登場した犯罪者を非難し、その一方で被害者に同情を示す。こき下ろそうが、非難しようが、同情しようが、要するに結果として視聴者側はそのような状況に陥っていない自分に優越性を感じ、上から目線でネタとなる相手を見ることができると同時に、その優越性を対面の場で共有して親密性を高めるわけだ。「ヒトの不幸は蜜の味」とは、実はコミュニケーションの本質に関わることばに他ならないのだ。
いわば、長屋の井戸端会議でやられていた「人の噂コミュニケーション」を今日風に「洗練化」したものが、この「ワイドショーをネタにしたコミュニケーション」に他ならない。
■ニュースもまた必要悪?
さて、ここまで必要悪=現代人のコミュニケーションの必需品としてもっぱらワイドショーを取り上げてきたが、実はこれと全く同じ構造を有するテレビのジャンルがもう一つある。それは「一般のニュース」だ。よくよく考えてみればニュースの2013年2013年05月19日月19日05月19日実はどうでもいい内容ばかり。たとえば最近だと橋下徹大阪市長が従軍慰安婦問題について不謹慎な発言をしたなんてのがこれに該当する。一介の市長が従軍慰安婦問題をどのように発言しようと実は大した問題ではない(橋下は首相ではない)。ところが橋下自身がメディアの寵児であり、われわれの表出=共有コミュニケーションのネタとしてはもってこいの存在。そしてそのことをマスコミは知っている。だから、橋下の発言の一部をはしょり、問題視するような文脈に流し込んでねじ曲げ、大々的に報道する。でも、そうすることで「やっぱり橋下さんは~」みたいなかたちでコミュニケーションが盛り上がる。ねじ曲げた方がネタとしてははるかに盛り上がるからだ(見下しやすい)。全てとは言わないが、ニュースもまたその多くが、こんな「マスゴミ」的なトピック、つまりネタになる情報、そして演出で埋め尽くされている。だからその質としてニュースとワイドショーは五十歩百歩だし、われわれのヒマつぶし、表出=共有コミュニケーションを開くという重要な「必要悪」としての機能を備えていることでも五十歩百歩ということになる。そして現在、こういった「どうでもいい報道」パターンが一般のニュースをどんどん浸食しつつある。そう、実は報道自体がどんどんワイドショー化しているのだ(NHKの7時のニュースで被害者の葬式が報道されたことがあったが、これって「伝達内容」としてはほとんど情報価値0%、つまり「必要なし」。しかし、メロドラマのお涙頂戴という「表出=共有」機能なら情報価値100%、つまり「必要不可欠」だ。これをNHKですらやるような時代になったのだ。まあ「みなさまのNHK」というキャッチフレーズがポピュリズムを意味するのなら正しいけれど(笑))。そして、それはある意味、時代の必然。つまり、報道全般のワイドショー化は現代人のコミュニケーションのための重要な社会的機能の一部を担っているということになる(念のために付け加えておくが、この機能を担っているメディアは他にもある。もちろんインターネット上でも。ただし、テレビが最大かつアドバンテージを有することは間違いないだろう)。
■だからテレビはなくならない
テレビはジリ貧だ。だが、こういった機能を備えている限りなくならないし、むしろこちらに特化していくことで生き残りが可能になる。だからこれからワイドショー、そしてニュースを含めた報道コンテンツは、テレビ番組の中でますますその比重を増やしていくだろう。これらはわれわれのコミュニケーションにとってきわめて重要なのだから。
ちなみに、この他にもテレビのコンテンツとしてヒマつぶしとネタ供給機能を備えているのはスポーツ中継、そして情報バラエティだ。だから、これらが番組のジャンルとして伸びていくのではなかろうか。

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2013年10月27日
タモリが「笑っていいとも!」で創った「バラエティ」という形式
メディアですっかり話題になっていることだが、来年3月をもってフジテレビのお昼の看板番組「笑っていいとも!」が終了することになった。終了のアナウンスは突然、しかも司会のタモリ自らの口から飛び出した。番組の終わりに突然、笑福亭鶴瓶が登場し「いいとも終わるんやて?」と切り出し、それに対してタモリはハッキリとその旨を表明したのだ。誰にも知らされていなかったのだろうか。会場、出演者ともに唖然とした状況になった。
ちょっとこの演出はきわめて唐突とともに不自然な感じがした。なぜ、鶴瓶がわざわざ登場し、タモリにこんないわせ方をしたのだろうか?で、ふと思い出したのは最近「いいとも!」がどんどん変わっていったことだ。テーマソングが歌われなくなったり、テレフォンショッキングが「友達の輪」ではなくなったり(平気で知らないタレントが紹介される)、タモリがコーナーの多くに出演しなくなったり(体調不良なのではと疑われたこともあった)。「笑っていいとも!」は「森田一義アワー」とサブタイトルが振られていたが、現在の「いいとも!」は、いわばこの看板が取り外された状況。つまり普通のバラエティと大差がなくなっていたことは事実だ(言い換えれば、もはや「いいとも!」がタモリである必要がなくなっていた)。で、穿った見方をすれば「究極のワンパターン、マンネリズム」を旨とする(そして、このマンネリズムの中で無限のアドリブを生み出す)タモリが(詳細については本ブログ「タモリのマンネリズムは偉大だ!」http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/64432521.htmlを参照)、この対応に怒った。だから鶴瓶を引っ張り出して打ち切り宣言を一方的にやってしまったのではないかとすら思えないでもない(もちろん真相はわからない)。ただ間違いなく言えることは、こういった番組改変が、次第に低下する視聴率への局側の対応策であったこと、そしてそのやり方がタモリのスタイルからすれば大きく逸脱してしまっていること、さらに付け加えれば改変がさらに番組の視聴率の低下に拍車をかけたことだ。
今回はタモリとバラエティの関係について考えてみたい。はじめに結論を述べておけば「タモリはバラエティというテレビ番組の分野を生みだし、そして今回これを葬り去った」ということになる。ここでいうバラエティとはスタジオを会場にして、ひな壇にタレントを並べトークさせたり、トークしながらゲームをさせたりするというスタイルだ。これを「いいとも!」という番組を通じて一般化させたのがタモリで、また自ら降りることでこのカテゴリーを三十年間で終わらせると宣言したのが、今回のハプニング?である、と。
■「笑っていいとも!」で培われた今日におけるバラエティの形式
1975年、山下洋輔や赤塚不二夫に後押しされデビューしたタモリは、その芸風を「密室芸」と称された。新宿ゴールデン街の小さな店の奥で繰り広げられる芸をそのままメディアに持ち込んだといわれたそれは、明らかにマニア受けのものだった。70年代の活躍の場の中心はラジオ深夜放送「オールナイトニッポン」で、ここでは芸能人のパロディ、モノマネ、メディア機器を使った編集ものなど(「編集もの」の典型はNHKのアナウンサーのニュースを録音し、これをつぎはぎして架空のニュースを作り上げたもの。相撲と事件の音声をミックスし、輪島が北の湖を凶器で襲ったなんてニセ報道に作り上げ、大いにウケていた。ファンだったリスナーがこの面白さを父親に喋ったところ、この父親がNHKの職員だったため、これがきっかけでこのコーナーは取りやめになるのだが、これすらタモリはネタにした)。しかもネタは下ネタ、芸能界ネタ、差別ネタ等満載、これらはまさに密室空間でのオーディエンスとのコミュニケーションの中で培われていったもの。だから、どうみてもマスメディアで流せるようなものではなかったが、深夜ラジオという限定されたメディア空間だったからある程度許されてはいたし、また次第に露出するようになったテレビ番組の中でタモリは人気を博すようにもなっていた。そして、デビュー7年目の82年、漫才ブームの終了に合わせ打ち切られた「笑ってる場合ですよ」の後釜番組「笑っていいとも!」の司会に抜擢される。
デビュー当時からタモリのファンだった僕は、この番組の第一回を見たときの印象が忘れられない。爬虫類?イグアナを意識したタモリのルックスはオール―バックの真ん中分けに(油をべったり髪に塗っていた)レイバンのサングラス(70年代のテレビ出演の際にはアイパッチを多用した)。ところが「いいとも!」ではオールバックだが横分け、メガネの枠を小さくし、なおかつブレザーにネクタイという姿。「あの、密室芸のタモリが?なんでこんな格好で一般視聴者向けの昼番組に?」と首を傾げざるを得なかったのだが(そして、当初、タモリも明らかに違和感を持って番組を進行していたのだが)、次第に番組はある形式を獲得するに至り、マニア向けタモリは一般性を帯びたものになっていく。
その形式は、要するにタモリの密室芸を無理矢理昼番組に持ち込むというスタイルだった。そして、それが最も生かされたのがテレフォンショッキングのコーナーだ。タモリは密室芸の中で繰り広げられる出演者同士、あるいは少数の顧客とのコミュニケーション形式をこのコーナーの中に持ち込んだのだ。ゲストに対しては若干の仕込みネタがあるものの、ゲストが応えた内容に深く立ち入るというよりも、それと同様の自分の経験とか、その話題に対するまったく別の話をするという「ゲストを使ってのタモリのモノローグ」のような喋りを展開したのだ。ただし、これはタモリの一方的な会話というわけではない。タモリのこのモノローグを聞いたゲストは、この語りにインスパイアされて、今度はそれに関する自分の経験を語りはじめる。それはさながらジャズミュージシャンがスタンダードナンバーをインタープレイで演奏するかのようだった。つまり1.ゲストの語り→2.それにインスパイアされてのタモリの語り→3.タモリの語りにインスパイアされてのゲストの語り→再びタモリの語りといった具合に。つまり、タモリは自らアドリブを奏でることで、ゲストからもアドリブを引き出すという独特なスタイルを作り上げる。しかも、その時、タモリは密室芸でしか通用しないマニアックなネタは排すという周到さも持ちあわせていた。いいかえれば形式だけがここに持ち込まれたのだ。
こういったインタープレイ的な語り、言い換えれば聞き手と話し手の役割が明確に分離されていないようなラフな形態をタモリはテレフォンショッキング以外のコーナーにも持ち込むようになる。さらに、これらのコーナーでは出演している他のタレントにもこういったインタープレイに参加するように仕向けた。いわば「集団テレフォンショッキング」的な演出がここでは繰り広げられることになったのだ。こうすることで「密室芸のコミュニケーション」は見事に一般向けのものになると同時に、この手法が後続のバラエティで次々採用されるようになっていった。現在、展開されているバラエティの多くがこの形式を採用していることは言うまでもないだろう(たとえば「お試しか!」はその典型)。ひな壇にタレントが並ぶバラエティは進行役のタレントがそれぞれのゲストたちに話を振り、それに進行役が対応して、さらに他のゲストたちもこれに加わる。だがタモリの場合は、これにさらに一歩踏み込んだかたちになる。多くの場合、タモリは進行役を勤めない。自らも参加者の一人としてインタープレイに興じるのだ(ただし、そうであっても、やはりタモリの番組、タモリのコーナーであることに代わりはなかった)。 そう、これがタモリが開発したバラエティの形式なのだ。
■バラエティを捨てるタモリ
にもかかわらず、今回、元祖であるタモリが「笑っていいとも!」を降りる。と同時に、後継を指名することなくこの番組を終わらせる。一方、タモリが築いたこのバラエティ形式は花盛りではあるものの、もはやすっかり定着したクリーシェで、全般的には大した視聴率がとれているわけではない。じゃあ、これは三十年間続いたバラエティの形式をタモリ自らが終わらせるということを意味するのだろうか?僕は、前述したようにタモリはそうするつもりなのだと考える。少なくとも発案者のタモリは、ここから降りる。
ただし、「いいとも!」が終わっても、タモリは決して傷つかない。タモリはバラエティ形式を作りはしたけれど、これになんのこだわりも持っていない。いや、むしろやめる方が自らにとっては重要と考えているのではなかろうか。これまで、どんなにバラエティの形式を守ったとしても、タモリは「いいとも!」の中で必ずタモリ的芸風を一貫させていた(それはアドリブに最も重要性を置くというものだった)。つまり「いいとも!」はバラエティ+タモリの芸風による「森田一義アワー」だった。そして、双方とも自らが生み出したスタイルとは言え、タモリにとってのこだわりは後者にあった。ところが視聴率低下に対する局側の対応で、後者を発揮する機会が取り払われた(タモリがコーナーのスタイルに固執したのは、それがアドリブを飛ばすための苗床になっていたからだ。これは、たとえばドラえもんのワンパターン形式を取っ払ったら、藤子・F・不二雄がドラえもんを描けなくなってしまうのと同じだ。つまりワンパターンゆえにこそ、無限のアドリブ「たとえば様々なひみつ道具」を繰り出すことが出来るのだが、これが封じられてしまう)。で、後述するが、メディア的な訴求力については、もはや「バラエティ<タモリの芸風」という図式が成り立つ。また「いいとも!」の視聴率低下はタモリの責任ではなく、メディアの変化がもたらす構造的な問題だ。だったら、タモリにとって「いいとも!」は時代遅れの古い衣装。もはや用なしである。とっとと捨てて、自分流のスタイルで次をやればいい。僕にはそんなふうに思えるのだ。
タモリは、タレントたちがトークを集団で展開するという、今日のバラエティ形式を「笑っていいとも!」で構築した。しかし、この番組は来年3月で終了する。しかも、それをタモリ自身が生放送中に発言した。このことの意味するところは何か。僕は、これはタモリが「いいとも!」的なバラエティという形式を見限ったからだと考えている。後半はバラエティとタモリの芸風の関係についてみていこう。
■視聴率低下はタモリのせいではない
先ず、最初に前提を述べておけば「笑っていいとも!」の視聴率がジリ貧になっていったのはタモリのせいではないということ。ジリ貧になるのは必然的と考えた方が的を射ている。原因はいくつか考えられる。それは情報の多様化の中、テレビ離れが進み、視聴率そのものが相対的に低下したこと。また、タモリが構築したバラエティという形式がすっかり一般化し、「笑っていいとも!」の独自性が薄れたこと。そして、こういった「ジリ貧状態」を脱却しようと制作側が番組をいじったのが、かえって裏目に出たこと。タモリ色を排したお陰で、ますます他のバラエティと大差がなくなってしまったのだ。
■相変わらず好調なタモリ
で、タモリの方はどうかといえば、実はそんなことはまったくお構いなし、知ったことではないと言うところではないだろうか。「いいとも!」同様、三十年続くテレ朝の「タモリ倶楽部」は相変わらず絶好調だし、NHKの「ブラタモリ」は続編が待望されている。また同じくテレ朝「MUSIC STATION」も25年間、相変わらず適当にやり続けている(タモリの座右の銘は「適当」)。また、今後、他のプロデューサーがタモリの芸風を生かした企画をタモリに持ち込むのも目に見えている(これまで「今夜は最高!」「夕刊タモリ、こちらデス」「タモリのボキャブラ天国」「「トリビアの泉~素晴らしきムダ知識」など、数々の傑作番組を生み出してきた)。
これらの番組(かつての番組も含む)の中で、タモリが最も重視しているのは密室芸的な要素だ。つまり、前回も指摘したが、やはりアドリブの部分、そしてマニアックな視点(「MUSIC STATION」は適当にやっているので、こちらはちょっと該当しないが)が基調になっている(その極致は、言うまでもなく「タモリ倶楽部」だ)。
■時代は、やっぱりタモリに向けられている
そして、時代は低視聴率の時代。しかも低予算。逆に言えば万人受けするものよりもある程度的を絞り、突っ込んだ展開をやった方が安定した視聴率が確保できるし(ただしかつてのような高視聴率を獲得するのは難しい)、予算も低く抑えられる。ということは、タモリのようなマニアックな視点は、実はきわめて現代の嗜好の多様化した時代のテレビコンテンツとしては適合的ということになる(「トリビアの泉」はやり過ぎで予算がかかりすぎてしまった例外だが)。つまり、そこそこの視聴率とリピーターを創出してしまう。しかも、タモリの場合、そのアドリブ性の豊かさゆえ、一般よりははるかに高いレベルで之が可能になる。たとえば、扱っているジャンルが一般にはわからないものであっても、そのマニアックさのバカバカしさとアドリブで多くの視聴者の好奇心を惹起してしまうのだ(「タモリ倶楽部」が扱うネタは、たとえば直近のものだと横須賀の隧道、工事中のEXシアター六本木、そしてたった一人の監督が制作する山歩きのDVDと、一般の人間がまったく知らないものばかり。ここに伊集院光、水道橋博士、なぎら健壱といったアドリブに長けたパーソナリティをゲストに呼んで、どうでもいいことを適当に喋らせ続ける。しかも時にはタモリは休んでいたりさえする。ただし、必ず一人だけマニアックなエキスパートが登場し、これにツッコミを入れるかたちでそれぞれがアドリブを飛ばし続けるのだ。それは、密室の中で繰り広げられていたインタープレイの再現に他ならず、まさにジャムセッションという表現がふさわしい)。
■「笑っていいとも!=バラエティ」という「女」に飽きたタモリ
だから、タモリにとって「笑っていいとも!」みたいなバラエティなど、もはやどうでもいいのだ(やめる発言をしたときも、ほとんど未練といったものが感じられない。ギネス認定の長寿番組なのだが「ただワンクールやったから終了するだけ」という感じだった)。タモリからすれば「いいとも!終わり?あっ、そう」ってなところではないだろうか。そして、タモリに魅せられている視聴者からしても、おそらく、まったく同じ印象を番組終了に感じているはずだ。「いいとも!」でのタモリは、タモリの魅力の一部、しかもマイナーな部分に属するものでしかないからだ。ネット上に「タモリ倶楽部があるから、いいや」とのコメントがあったが、まさにその通りだと思う。タモリは「笑っていいとも!=バラエティ」という女に飽きたのだ。ちなみに、タモリが好む女は「キレイな女」ではない。ひたすら好奇心を惹起してくれる「オモシロイ女」だ。だから、またその好奇心を満足させる女、アドリブをかましたくなる女を求めて彷徨い歩く。そして、僕を含めたタモリファンはその「彷徨い」に熱い視線を向け続ける。「笑っていいとも!」が終わろうと、タモリは決して傷つかない。いや、そもそも終わろうが終わるまいがタモリには関係がないのである。

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