[東京渋谷]スーパーみどりや





[市場]スーパーマーケットが進出
1981年
1930年代アメリカに生まれたスーパーマーケットは,第二次世界大戦後,流通革命の中心としてヨーロッパに波及して,わが国にも1960年代から生まれだして, 1970年代から1980年代に入ると,巨大スーパーは百貨店の売り上げを超えて全国に支店をはりめぐらせるするようになった。
ダイエー
イトーヨーカドー
長崎屋
ジャスコ
などがこれである。
スーパーマーケットは,セルフサービス方式をとることによって人件費を少なくして,これによるコスト低下によって薄利多売を図ろうとするだけではない。
百貨店の場合,10万種類程度の品物を揃えて,返品が効く形で問屋からものを仕入れて,問屋との了解をもとに価格を決めている。
ところがそれに対しスーパーマーケットは品物の種類を大きく制限して,ほぼ1万種類以下,本店に仕入れの専門家を置いて,これが大量買い入れ/仕入れる。従って低価格で仕入れ,これを各スーパーマーケットに回すなど,価格を自らの責任で決めていく。
こうしたシステムであるために,支店長制度の下,ベテランを配置しなければならない百貨店に対して人材供給が容易であって,また付近の商店よりも一段と安い価格で売ることができて,急速に支店網を広げることができた。
他方,既存商店はスーパーの進出によって脅威をうけるところから,一方でこれらの規制を求めて,1973年,「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律(大店法)」を整備させた。
このような規制法を成立させた背景には,1973年の第一次石油石油ショック以降,地方に進出するスーパーマーケットは都市中心部に立地するだけではなく,マイカーに便利な郊外の新興地に立地して,そのために伝統的な繁華街が衰退すると言う状態が見られた事もある。ファミリーレストランなどの普及もこうした傾向を強めている。
こうしたスーパーの攻勢に対して,夜遅くまで開店してるセブンイレブンや24時間営業を続けるサンチェーン等,連鎖店組織も生まれた。
また,スーパーマーケットをそれ自身も一方で高級化して,百貨店化する店を作って,他方でさらに安く売ることができるようにと商品を段ボール箱に入れたまま並べると言うボックスストアなども出現させた。
こうした流通業界の激しい競争の中で,1980年代にはスーパーマーケット最大のダイエーがフランスの名門百貨店オ・プランタンと提携して一方で百貨店への進出を用意すると同時に,アメリカのディスカウントストア・Kマートと連携して,国際的に共同仕入,共同開発体制を敷く反面,日本最大のボランタリー・CGCジャパンと連携して共同仕入,商品の共同開発法を図るなど,流通業界は競争と再編が進んで,新しい時代が訪れようとしている。
ー学研百科事典Brummell,1981年,       

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スーパーの販売額ランキング, 1979年度
ランク,会社名,販売額,テンポス,
01,ダイエー, 10兆2594億円,159
02,イトーヨーカドー, 05兆7353億円, 092,
03,西友ストアズ, 05兆2654億円, 144
04,ジャスコ, 05兆0238億円,127,
05,三越, 04兆9055億円,014
06,大丸, 04兆1277億円,007,
07,ニチイ, 03兆9692億円, 148,
08,高島屋, 03兆7501億円,005, 
09,西武百貨店, 03兆4111億円,010,
10,松坂屋, 02兆9869億円,009,
ー学研百科事典Brummell,1981年,       

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