[北海道] 札沼線~~刹疎と颯爽の二面性
■滝川にて
ちほく高原鉄道での行程を終えて、「オホーツク6号」に乗車した。
歩き回った疲れが出てきて眠く、道中の様子はほとんど覚えていない。
日が暮れかけている滝川に到着。
駅頭に立つと、なんともさびれた印象が際立つ。
駅前を圧する、西友の撤退跡が痛々しい。
ホテルにチェックインする前に、街の様子をひとわたり眺めてみる。
商店街はいわゆる「シャッター通」で、日曜夕刻という状況はあるにせよ、人気があまりにもなさすぎる。
国道を渡ると、歓楽街の趣だ。
スナックが圧倒的多数で、ピンサロのような「実行系」の店は見つからなかった。
こういう街のすがたは、補助金事業が経済の大黒柱であることの裏返しといえる。
接待需要が旺盛である一方、身銭を切って遊ぶ店がないという状況から、ほかにどのような類推ができようか。
例えば札幌ススキノは、旺盛すぎるほどの接待需要があればこそ成り立ったものであり、加えて観光客が集まる拠点であることが、風俗街としての「偉観」を呈する礎となっている。それにしてもこの滝川という街、多少の邪心をもって眺めてみたものの、どうにも「遊ぶ」気にはなれないところだ。
ホテルにチェックインし、明日の天気予報を確かめてから、再び外に出る。
夜の帳が街をすっかり覆っている。
滝川駅そばのバスターミナルに赴いたところ、照明がうす暗く、しかも人影が乏しく、本能的な恐怖感を覚えてしまう。
例えとしては語弊があるが、途上国の下町に踏みこんだような雰囲気だ。
砂川行のバスに女子高生が独り乗車したが、車内の灯りは待合室よりも「あお暗い」様子、彼女は怖さというものを感じないのだろうか。
早々にバスターミナルを辞して、夕食をとることにする。
ジンギスカンでも食べようかと思いつつ、ラム肉に偏した料理には興が乗らない。
たまたま「白木屋」があったので、安価で多彩なメニューを楽しんだ。
ちょうど季節もので、沖縄料理が中心になっていた。
地方の魅力を統合・構成して全国展開するのが全国チェーンの実力というもの、地場の店はなんらか普遍的な個性を身につけなければ、生き残れない。
■新十津川まで
翌朝は荒天の気配。もってほしいものだが、相手が台風では相談に乗ってくれるかどうか。
再び滝川バスターミナルへ行ってみる。
月曜朝らしく、高校生の姿が目立つ。
交通機関というもの、賑わっていた方が安心感が伴う。
「高速たきかわ号」が出発していく。
所要時間に有意といえるほどの大差はなく、運賃が安いとあっては、多くの利用者がつくのも道理、JR北海道も
「スーパーホワイトアロー」
を深川・滝川・砂川・美唄に停めるほか、P&Rを展開するなど対抗施策に余念なく、競合はいよいよ熾烈である。
高速たきかわ号(滝川バスターミナル)
パーク&トレイン(滝川)
新十津川村役場行のバスに乗車する。意外なことに、乗客は筆者ひとりのみであった。朝の賑わいもここだけは無縁のようで、市街を走り抜けても乗降なく、さびしくうつろな風情の道中になる。西高前の手前で女子高生を二人追い抜く。彼女らは滝川駅近くで見た顔だ。駅から歩きとおせるとは元気健康の証ながら、バスにとっては利用者を逸している形である。さて、「あるべき姿」はどちらであろうか。
西高前から 2名乗車。どうも中学生にしか見えないが、だとすれば行政境を越えてどこに行くのか、不思議になる。
バスは石狩川に架かる橋を渡る。滝川と新十津川を結ぶ橋が架かった時点で、新十津川は滝川の駅勢圏に呑まれ、札沼線はその存在意義をおおいに減じた。その昔、架橋は一大事業であったのだ。今日では長大橋梁が楽々と架けられているようにも見受けられるが、技術はともあれ予算の制約は大きく、高速道と国道を除けば、あんがい橋は増えていないことに気をつけるべきであろう。
徳富(とっぷ)川に架かる札沼線廃橋梁を横目で見つつ、あっけなく終点に到着。
時間帯が合ったせいか、国道の歩道には中学・高校生の自転車が引きも切らず通り過ぎていく。
小学生も元気に歩いて登校だ。
夏の北海道には公共交通など不要なのではないか、と疑問が湧いてこないでもない。
時間に相当な余裕があるので、札沼線廃線跡をたどってみるが、これはここでの本題ではないので略す。
しかる後、新十津川駅に着いて愕然とした。この駅には、実は今までに二度来たことがある(しかも二度目は所用)。
その時には、終点に降り立ったとの意識が勝っていたのだろうか、悪い方向での印象はなかったのだが、滝川から来てみると、いやでも強烈な印象を持たざるをえない。
街はずれの孤地に独りたたずむ、貧相な駅舎。それが札沼線の終点、新十津川である。
新十津川
■石狩月形まで
写真を撮っているうちに、雨催いの空になってきた。
天気の崩れを嘆じても始まらず、今までよくもったと思うしかない。
5423Dが到着する。驚いたことに、降車なしである。
一日にたった 3往復しかない列車がこの惨状、しかも今日は平日だから、日常的な状況を反映していると考えざるをえない。
札沼線は、末端ではここまで零落しているのだ。
5423D(新十津川)
公共交通を利用する層であっても、札沼線に頼らず移動することはできる。
バス路線網は滝川を中心に浦臼まで張りめぐらされており、しかも本数はこちらの方が(やや不便な水準ながら)まだ多いから、日常の足として使うに足りる。
札沼線(浦臼-新十津川間)の 3往復/日というサービス水準は、まだ存続しているとの体裁を整えているだけにすぎないと酷評することもできる。しかし、昭和60(1985)年時点で既に 5往復/日であったから、低サービス水準は今に始まった話ではない。要は、沿線での公共交通利用者のパイがよほど縮小したというあらわれでしかなく、鉄道として存続する社会的意義について問われれば、肯定的な見解を示すことさえ困難である。
折返し 5426Dが出発する。初老の婦人が乗りこんでいて、乗客は筆者ひとりという孤独はかろうじて味あわずにすんだ。強い雨のなかを 5426Dは進む。黄金の稲穂が両側の車窓に揺れ、豊かな実りの秋を感じさせる。しかし車内は寥々たるもので、中徳富・下徳富・南下徳富・於札内・鶴沼と5駅連続で乗降がなかった。そういった利用状況を反映してか、列車の性能も落とされているようで、60km/h以上の速度を出している様子がない。
浦臼は交換設備がはずされていた。つまり、石狩月形-新十津川間(30.2km)が一閉塞というわけだ。もはや営業線というよりも、長大な引上線という感じだ。
浦臼から 6名の乗車があり、車内はようやく人心地つく。
発車直前に老媼が駆けこんできて、「間に合ったよかった」と安堵の吐息をついている。さもありなん、 5426Dを逃すと次の 5428Dは 3時間以上も先になる。
浦臼以南では、線路の整備水準が上がったようで、列車の速度も上がる。
札的で老媼が降車する。晩生内では降車 1名乗車 1名あり、札比内では乗車が 6名あって車内は一気に賑やかになる。よちよち歩きの幼児もついており、なおさらだ。次の豊ヶ岡は山中の小駅で動きなく、石狩月形に到着する。月形にはある程度の拠点性があるようで、降車が 6名、乗車が 7名あった。
つのりゆく雨のなか、筆者もここで下車する。目当ては
デュアル・モード・ビークル(DMV)
だが、それらしい車体はない。聞けば試運転は明日との由、平日だからやっているはずとの思いこみはみごと空振り、むなしく 3時間を過ごす羽目になった。
もう一泊して明日再訪しようにも、台風直撃で試運転は中止になりそうだし、そもそも帰京が困難になる。ここは諦めるしかない。
それにしてもDMV、構内にあるモード・インターチェンジとやらはずいぶんと簡素な設備で、これならばたいした初期投資もなく普及が図れそうだ。
■百万都市札幌近郊へ
石狩月形は小さな街で、時間潰しするにも場所に困ってしまう。
雨が小降りになったのを幸いあちこち歩き回り、ようやく街はずれに温泉ホテルを見つけ、ここのレストランに居座る。
時間は余るほどあるので、ゆっくりとメモの整理に費やす。
天気が良ければ温泉にも浸かりたいところだが、また雨中に出るかと思うと、その気になれない。続々やってくる相客は老人ばかり、昼間から酒を頼むなど軒昂だ。
雨がやんだところを見計らって石狩月形駅に戻る。
5428Dに乗車、先客は 4名で、ここからの乗車は 6名だった。
百万都市札幌も近いというのに、野生の鹿が見えるほど風景はのどかだ。もっとも、札幌じたい、風景はのどかだが……。
知来乙では乗降なし、月ヶ岡では降車が 1名、中小屋・本中小屋であわせて降車 3名、石狩金沢では 1名の乗車がある。
動きはあまりない。
北海道医療大学で女子学生 5名の乗車があった。
隣のホームでは 3連の列車が出発待ちをしていたが、ここでは乗り換えられないとの由。
ワンマン運転はどうも乗り切りが建前のようだ。この駅を境に、風景ががらっと都市的に変わっていく。
終点の石狩当別に到着。乗客の多くは574Dに乗り継ぐが、先の女子学生などここで下車する動きもある。
大学が近くにあるうえに、札幌は必ずしも近くないから、域内の移動がそれなりにあるのかもしれない。
しばし待ちあわせてから574Dに乗車するが、思わず絶句せざるをえない。
車内は座席がほぼ埋まり立席が出る程度の混雑、そしてボックス席に座る乗客の大半は女子学生である。
おそらくほぼ全てが北海道医療大学の学生であろうから、十代後半から二十代前半に集中しているわけだ。
若いというだけでも華やぐもと、しかも小グループ毎に対話がおおいに盛り上がっており、甲高い嬌声が車内に横溢して耳が痛い。
化粧の匂香も鼻をくすぐる。
今までの道中があまりにもさびしかったから、めまいすら覚えるほどの光景だ。
百万都市の中にようやく踏みこんだのだと、強く実感した。
都会を構成する要件の一つが、若者をひきつける魅力があるということ。札幌には確かにそれがある。
一駅毎に乗客は増え、また車窓から見える家々の密度も濃くなっていく。石狩当別方面への列車とも頻繁にすれ違う。
分割民営化前後の時代を知る筆者にとっては、隔世の感が伴う変化だ。
当時の札沼線は都市型路線に変貌を遂げようとしていたものの、増発された列車の多くはキハ40単行で、沿線の宅地化はなかなか進まず、田舎くささがなかなか抜けなかった。
それが今日では、どうだ。
変われば変わるものではある。
しかし、これが札沼線の「実力」かと問われれば、まだまだ地力はついていないといわなければなるまい。
混雑に対応するため無粋に改造されたキハ40・141 の車内をよく眺め渡してみるがいい。
掲げられている広告の数はごく少なく、しかもJR北海道の自社ものか公的機関のものしかない(※)。
これは、都市生活の媒体として札沼線はまだ力不足とみなされている証であり、今のところ札沼線は、札幌中心部と郊外を結ぶ輸送機関として働いているにすぎない。
※ちなみに最新型のキハ201 には多少ながら商用広告が掲げられている。
ただし、函館本線・千歳線の電車も同レベルであり、JRそのものが都市型交通機関として認識されていない可能性をも指摘できる。
これが地下鉄であれば、煩雑で鬱陶しくなるくらい広告掲示があふれているところで、単なる輸送機関としてだけではなく、都市生活媒体としての機能をも発揮している。札沼線がこの域まで達するには相当な年月を要するだろう、札幌までの遠さを実感しながら、筆者にはそのような直感がひらめいたのであった。
以久科鉄道志学館
http://www.geocities.jp/rail_of_shinsyu/ezo/yuki/02.html
http://www.geocities.jp/rail_of_shinsyu/ezo/yuki/01.html
http://www.geocities.jp/history_of_rail/781/781.html
http://www.geocities.jp/rail_of_shinsyu/ezo/index.html
http://www.geocities.jp/history_of_rail/
西友跡(滝川駅前)
滝川バスターミナル
高速たきかわ号
5426D
5426D車内(石狩月形直前)
モードインターチェンジ(石狩月形)
左:新川中:八軒右:札幌
札沼線車内(新琴似付近)
様相を改めた札幌駅前
JR札沼線(学園都市線) 石狩月形駅>浦臼駅>札幌駅の乗車記です。
菊人形のホームページ
JR札沼線(学園都市線)石狩月形駅
石狩月形駅,切符売り場
JR札沼線(学園都市線)石狩月形駅
JR札沼線(学園都市線)石狩月形駅
2時19分発の浦臼行きが到着
JR札沼線,片側は1名掛けのシート
札沼線/札比内駅
札沼線/札的駅
12時44分に浦臼駅に到着,本名は『札沼線』
浦臼駅
浦臼町役場
新十津川駅方向にある1日2回しか下がらない踏切
踏切から見た浦臼駅
浦臼駅
新十津川方面に乗れるのは1日1回
ホームから新十津川駅方向
出発を待つキハ40 817
キハ40 817
行先幕は「浦臼-石狩当別」
キハ40 817号車は昭和55年製
札比内駅
知来乙駅
中小屋駅
本中小屋駅
石狩金沢駅
バスと並走
北海道医療大学駅に進入。ここから電化
間もなく終点の石狩当別駅
終点の石狩当別駅
石狩当別駅