[兵庫神戸] 白鹿館~潰え去ったモダニズム建築清酒工場


































[兵庫神戸] 白鹿館~潰え去ったモダニズム建築清酒工場
潰え去った清酒工場~白鹿館
2012/2/22(水) 午前 1:09
危機的建築&消え去る建築 建築デザイン
先週、旧グラシアニ邸の全焼を伝えたが、名建築であっても様々な事情で、つぎつぎと消え去っている。
見学した建築が、その後、消え去ったことも少なくないし、訪問しようとすると、少し前に潰されてしまった建築も多々ある。
これらを記事にすると、腹立たしくなるし、虚しくもなるので、あまり採り上げてこなかった。
が、しかし存在を知ってもらう意義もあるかと思う。
なので、近年に失われた名建築や、現在危機的な建築も、これから交えて紹介していこうと思うのだ。
では、先週の異人館に続いて、今回は、辰馬本家酒造の白鹿館を。
工場建築である。
工場建築を採り上げること自体、初めてかもしれない。
清酒『黒松白鹿』で知られる日本酒の酒造工場である。
昭和初期のレトロ建築で、表現主義の珍しい工場。地味な存在であるが、その特徴的な形体は建築史上、貴重なものである。二年ほど前まで現役で働いていた。
この工場の前は、よく通過するのだが、道に面しているものの、窓は殆ど無く、高い壁で囲まれていたので、知らなければ何の工場なのかまったく分からない印象。
ふと、撮影してみようと思ったのが2009年の夏だった。
この夏はひどく雨が多く、殆ど青空を見ることが出来ない夏だった。この日も断続的に雨が降る中、雨の止んだ隙を狙ったがいい画像は得られなかった。
建築写真ってのは、曇天だとほとんど色のない世界になってしまうのだ。
さて、それから1年ほどすると、なんと、すっかり更地になっているではないか!
場所を間違えたのかと思ったくらいのありさま。
驚いたし、呆れてしまった。
そのまま気付かないままの方が、よかったかもしれない。
まぁそれでも、あの日、雨でも行ってて良かったと感じたわけだ。
ぎりぎり間に合ったていたのだ。虫が知らせたのかも?
ではどんな建物か?既に知っている人も多いことだろう。
続けて、今は亡きこの白鹿館を紹介してみたいが、
手持ちの材料も少ないので、轍の後をたどる程度になるが、
もしよければ・・・って、まだ出来てないんだが、

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白鹿館に、ちょっことだけ見せるアールデコ
2012/3/11(日) 午後 10:27
危機的建築&消え去る建築 建築デザイン持つ全体的な印象は横長のラインである。
画像は、工場敷地中央のスペースである。
右下にある黒い扉が、正面の入り口であり、内側のから見た状態である。正面入り口は、上の一枚目の画像。
工場のため装飾が殆どないのだが、あるといえばこの水切りである。
玄関、壁と至るところに、このコーニスのようなアクセントが設けられている。
デザイン史から見るのは難しいのだが、強いていて言えば、アールデコ。
全体ではないが、限定的にその意匠が用いられている。、
横長な印象から、ストリームラインモダンのようにも感じる。
その僅かなアールデコを拾ってみる。
前述したライン。このコーニスは等間隔で入れられている部分が見受けられる。
これらは、アールデコから続くモダニズム建築では、よく見られるのだが、
これは、ウォルター・ドーウィン・ティーグのデザインと共通するものだ。(下画像)
中でも、玄関に下げられたは、外灯は、まさにアールデコである。
この外灯は、どこかに保存されているもの思われるし、そうであっても欲しい。
(何度も同じ画像を流用で申し訳ない。~マイ画像が貧弱なもんで)
もうひとつ、書に掲載されている写真を見ていると、ちょっとしたところに気付いた。ステンドグラスである。
会議室に嵌められたこの2枚のステンドグラス。これは、典型的なアールデコである。これも残っているかな?
さて、既に無くなってしまい、中に入ったこともない工場建築を扱うのは、いささか荷が重くなってしまった。
白鹿館は、今回で終了としよう。この記事は、オマージュとなった。
カテゴリ>芸術と人文>デザイン>建築デザイン

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白鹿館のみどころ(既にないけど・・・)
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2012/3/7(水) 午前 1:00 危機的建築&消え去る建築 建築デザイン
更新が空いてしまった・・・とりあえず出来ている部分だけでもアップしよう。
無くなってしまった白鹿館。
惜しい惜しいと言っているが、はたして、この白鹿館の何が良いのだろう。
“雰囲気”と言ってしまえば、一言で済むのだけど・・・
なので、白鹿館が持つ建築史上の価値は一体何かを考えてみた。
構造:特徴ある建築構造の昭和初期における大型実例
建築史:表現主義の影響を受けたモダニズム建築
用途:昭和初期における産業施設での実例としていろんな専門書から抽出すると、こんなところだろうか。
それはさておき、白鹿館を少しだけ掘り下げてみよう。
瓶詰め工場
瓶詰め工場は、この白鹿館で、最も大きく、最も特徴的な建物である。
広さ24m×64m、高さ11mの広大な空間を、連続したアーチで支える構造である。大きなアーチは、表現主義建築を連想させる。
一見、内部からだとカマボコ型の屋根を想像するだろうが、実は、そうではない。
多数の連続するアーチは、梁で連結されていて、その横長の梁は、ひな壇の様になっていており、
外観では、庇が階段状の見えていた。
梅宮弘光氏によると、「トニー・ガルニエのリオンの工場を思い起こす。」とある。
ほう、確かにそっくりである。
トニー・ガルニエは、フランスの都市計画の専門家である。『工業都市』(1917)で知られるが、実際の建築例は少ない。リオンにその数少ない建築作例があり、画像の工場はその一つ。定かではないが、もしかすると、石川、青柳氏が当時、参考にしたのかもしれない。
この瓶詰め工場、外からだと、建物自体ほとんどわからない。道路からは、かろうじて、階段状の庇が
一部見える程度だった。是非、内部から見上げて見たかったものだ。

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「鹿は千年の時を経て…?」白鹿館跡地の現状
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2012/2/28(火) 午前 2:20
危機的建築&消え去る建築 建築デザイン
今はどうなっているのか、気になってきたので昨夜、見に行ってみた。
以前、見たときは、更地になっていたのを見て、驚愕したが、万が一にも、見間違いだったらいいのにと、一縷の望みも抱いていた。
すると、なんと、凄まじい建設現場になっていた。残念無念。
地面は、掘り返され、巨大なクレーンと建設重機が並んでいる有様だった。
労災などの計画掲示を見ると、ダイワハウス工業による商業施設が造成中で、コンビニと思しき家屋が
先行して完成に近づいていた。そして、冷凍蔵のあった場所には、スーパーの万代が建設中。
立駐を備えるその巨大な筐体がほぼ組みあがっていた。跡形も無い上に、すっかり様変わりしてしまっている。
なんてことだ…
この近くには、既に、マルナカやコープ、マックスバリュが徒歩圏内にあるし、コンビニも十分足りている。
飽和状態になるのではないか?はたして、本当に必要なのだろうかと考えさせられる。
一つ思ったのは、商業施設の計画配置を見てると、白鹿館の正面玄関は、そのままゲートに転用できたことだ。もったいない。
さらに考えれば、どうせ、スーパーを作るならば、瓶詰め工場の広い空間が、そのまま使用することが
出来る。スペースは、南側にも十分にあるので、そんな制約のある設計にはならない筈だ。
似たり寄ったりのスーパー店舗より、この写真の様な、ダイナミックな空間の方が興味を惹かないかい?
実例を挙げると、京都中央電話局上分局(↑)は、限られたスペースにも関らず、
見事に、スーパーとスポーツクラブに転用されている。
規模こそ違えども、白鹿館のほうが、大ぶりで、ゆとりがあるだけにもっとたやすくできたのではないか?
せめて、こんな小物だけでも、残しても価値あるんじゃないかと思うのだが。→
と、まぁいろいろ考えさせられるが、すべて後の祭り。
「鹿は千年の時を経て、白鹿となる」
を謳っている白鹿。百年にも及ばないとは・・・一杯やるか

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