さよなら交通博物館 70年の歴史に幕
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2006/5/14(日) 午後 8:42 ニュース 練習用
さよなら交通博物館 70年の歴史に幕
鉄道を中心に車や航空機などさまざまな乗り物を展示し、幅広い世代に親しまれてきた交通博物館(東京都千代田区神田須田町)が14日、老朽化などを理由に閉館し、70年の歴史に幕を閉じた。
この日は、鉄道ファンや親子連れら1000人以上が早くから列をつくり、開館時間が1時間繰り上げられ、午前8時半にオープン。大勢の人が建物をバックに写真を撮るなどして別れを惜しんだ。
同館は、鉄道博物館として、1921年に東京駅北側に開館し、36年に現在の旧万世橋駅の隣接地に移転。大型の鉄道模型のパノラマや運転体験できるシミュレーターなどが人気を集めた。
来年10月には、さいたま市に新設される鉄道専門の博物館として、生まれ変わる。
空のもとで
交通博物館閉館
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2006/5/14(日) 午後 6:22
無題 練習用
ハンドルネーム変更後最初の更新は、交通博物館閉館の事について簡単に綴ってみます。
1921年に東京駅の北側に初代交通博物館が開館し、後1936年に現在の場所(旧万世橋駅跡地)に移転して今日まで実に85年間、数多くの人たちに鉄道・車・船舶・飛行機といった各種交通の歴史を幅広く提供してきました。僕自身は今年の2月に来館したのが最後であり(過去のブログ記事にて記載しております)、この時は平日ながらもたくさんの人たちでにぎわっていました。
今日の都心界隈は安定しない空模様でしたが、徹夜を含めて1,000近くの人たちが長い列を作って最後の博物館見学を楽しまれたようです。博物館の顔ともいうべき蒸気機関車と新幹線0系の前面展示を始め、館内にはたくさんの蒸気機関車・車両や各種機器類の展示にシュミレータ体験、そして大パノラマレイアウトなどがあり、さらには実物のオートバイ・バス・自転車やミニチュアの船、飛行機の機内の輪切り展示などもあったりして、いろいろな交通の事に触れられる楽しみがありました。そして、4階にはレストランこだまが営業されており、懐かしい食堂車の雰囲気を感じながら飲食ができました。
僕自身はパタパタ案内表示板(新幹線の時間や種別を変えられるもの。正式名称は反転フラップ式発車標と言います)がけっこう好きでして、地元の路線でも一部残っているにも関わらずについついこれが空いていると、いろいろな組み合わせをやって楽しんでいました(^^ゞ このパタパタを見ていると、昔の「クイズ100人に聞きました」のパネル動作を思い出します。さすがに赤い×などは出ませんけれどね(-_-;)。
また、最近はムーミンことEF55-1や今年廃止された寝台特急「出雲」のミニ編成の展示、そして旧万世橋駅の遺構の一般見学会など、閉館関連イベントも各種執り行われました。2月の時に旧万世橋駅の遺構見学に参加しましたが、あの扉の先に足を入れた時は、本当にタイムスリップしそうな錯覚を感じました。駅としての役割は終えているものの、時が脈々と流れつつもその姿を残しているのは凄いものです。
たくさんの人たちに親しまれてきました交通博物館も今日で長き役目を終えて、静かに眠りにつきます。そして、ここに展示されていた車両のうち、鉄道関連のものは大宮の新・鉄道博物館に引越し後、新規に展示される車両とともに第二の余生を送る事になります。2007年度の開業が待ち遠しいですね。
お疲れ様でした、交通博物館。
まー2000のノンビリ雑記
☆交通博物館(旧万世橋駅跡)
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2006/8/5(土) 午前 11:07
懐かしいモノ&食玩等 東京都
昨日、用事で秋葉原に行った際に今年閉鎖された交通博物館の前を通りましたので
写真を撮影してきました。※横を流れる川は神田川です。
交通博物館は1936年4月25日に旧万世橋駅跡の敷地を利用し開設されました。
東京近郊に住んでいる人たちは親子三世代で子供のときに見学に来た思い出の場所ですね。
旧万世橋駅関東大震災で焼失したため、以後休止時までは仮駅舎での営業していたようです。
外観のレンガはその仮駅舎の名残のようです。
秋葉原方面も一枚撮影しましたが、石丸電気などの昭和の雰囲気がまだ残るアキバの町並みの真ん中に
ここ数年で出来た新しいITビルが建ち並んでいます。
交通博物館は閉鎖されましたが旧万世橋駅跡のこの建物についてはどうするかまだ決まっていないよう
ですが何かの形で残せたら良いと個人的には思います。
交通博物館:2006年(平成18年)5月14日限りで閉館。場所:秋葉原駅から徒歩3分。
2007年さいたま市に新しい交通博物館がオープン予定
カテゴリ>地域>日本>東京都
☆浪人ブログ&たまに磯釣り釣行記☆
https://blogs.yahoo.co.jp/rounin0718/38521723.html
明日14日交通博物館最終日
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2006/5/13(土) 午前 4:20 東京・神田 鉄道、列車
東京・神田の交通博物館、14日に閉館へ
2月1日にも、 http://blogs.yahoo.co.jp/hiro0425kawachi/25088659.html で一度記事にしていますが、
東京・神田にあるJR東日本の交通博物館が14日、閉館を迎える。
現在地に移って4月でちょうど70年。さまざまな乗り物を展示し、幅広い世代に愛されてきたが、老朽化には勝てなかった。ファンや職員に惜しまれつつ、来年10月にさいたま市に開館する「鉄道博物館」にバトンタッチする。
親子連れなどでにぎわう交通博物館=2日午前、東京都千代田区で
数多くの鉄道車両が展示される「鉄道博物館」のイメージ=JR東日本提供
新幹線と蒸気機関車の先頭部分が並ぶ交通博物館の玄関はここ数カ月、写真を撮る家族連れでにぎわう。ゴールデンウイークに入ってから、入場者が1日7000人を超えた日もあった。例年の休日の2倍以上の混雑だ。
この春、東京都台東区の佐々木司さん(66)と訪れた孫の悠人君(4)は、実物の80分の1の列車が行き交う模型鉄道パノラマに喜んだ。佐々木さんは「この子の父親も連れてきました。
昔から雰囲気が変わらないのが良かったのですが」。
交通博物館は36年に神田に移された。
05年に「花まんま」で直木賞を受賞した足立区育ちの作家朱川湊人(しゅかわ・みなと)さん(43)にとっては、子どもだけで行くことが親に許される貴重な遊び場だった。天井につるされた黄色のヘリコプターが特に鮮烈で、小学2年の時にはスケッチして先生から銀賞をもらった。
今年2月、取材で久しぶりに訪れた。古い電車や航空機の内部を再現した展示が無性に懐かしかった。「当時は最新の技術だったはず。いつの間にか時代が追い越してしまったんですね」
28万点の収蔵資料は原則として鉄道博物館が引き継ぐが、航空や船舶の資料はお蔵入りする可能性がある。朱川さんは「別の場所でもぜひ展示してほしい」と願う。
専任学芸員の佐藤美知男さん(57)は71年に同館に就職した。もともと乗り物好きで「交通の歴史を客観的に眺められるところ」と希望した。
若手の大事な仕事が模型鉄道の運転だ。自動に見えるが、学芸員が解説しながら手で操作する。追突しないか初めはひやひやした。うまく運転すると、ガラスをたたいて歓声を上げる子もいた。
資料収集の仕事は思い出深い。江戸時代の嫁入り道具だったかごを寄贈してくれた新潟県の女性は「これで安心してご先祖に報告できる」と言った。歴史を受け継ぐ重みに身が引き締まった。
乗り物に関する数多くの質問にも答えてきた。
東北地方の記憶喪失の男性は「出生地を知る手がかりを得たい」と訪ねてきた。子どものころ、街にトロリーバスが走り出した記憶があった。「その時期なら名古屋では」と教えた。後日、その通りだったことがわかった。「乗り物は人生と密接している、といつも感じます」と佐藤さん。
鉄道博物館はさいたま市大宮区の新幹線高架脇にできる。旧大宮市の誘致運動を受けて、JR東日本が04年に移転を決めた。事業費は約123億円。展示面積は約9500平方メートルで、交通博物館の2倍強に広がる。車両35両を一堂に展示。大半の車両は中に入れる。
準備に取り組むJR東日本総務部の本間俊浩さん(32)は、5歳のころから交通博物館に通った大の鉄道好きだ。「実物の列車を見ながら、おじいさんが孫に思い出を語れる博物館にしたい」と意気込んでいる。
現在の交通博物館の建物は、解体された旧万世橋駅本屋の基礎を流用して造られたものです。したがって、万世橋駅の平面図と見比べて見ると、建物の形は万世橋駅本屋をほぼ踏襲していることがわかります。
かつての駅中央玄関にあたるのが、1号機関車と模型鉄道パノラマの間に見える荷物搬入用シャッターです。乗客はここから万世橋駅の建物へと足を踏み入れました。
そのまま真っ直ぐ進むと自動販売機が置かれた中央休憩室となりますが、この場所こそが高架上のプラットホームへと上がる中央階段の跡です。
2代目の駅本屋が取り壊され、鉄道博物館と同居するかたちになった3代目の万世橋駅ですが、出入口は博物館とは別個に作られていました。前庭の0系新幹線の右手後ろにある窓の部分がかつての入口で、ここから延びた通路(現在は事務所として利用)から改札口を通ってホームへの階段(東京寄り)に続いているのです。※この階段やレンガアーチの内部を2006年4月28日まで予約制で公開。
そして、最も良く知られている最大の痕跡が、高架線上に残るプラットホームの跡です。開設当初の万世橋駅には2本のホームがありましたが、1本は駅の縮小と共に撤去され、営業休止まで使われたのは今見ることができる1本のみです。交通博物館の屋上に上がると間近に観察をすることができます。ホームが短く感じられるのは、当時の列車編成が今ほど長くなかったためです。
甲武鉄道は、1889年(明治22)に現在のJR中央本線の一部である新宿~八王子間を開業させました。さらに路線を新宿から東京市街の中心部に延伸させようと計画したのが甲武鉄道の市街線です。
1904年(明治37)12月31日 甲武鉄道市街線飯田町~御茶ノ水間開通
≪飯田町~御茶ノ水間で電車運転がはじまる≫
1906年(明治39)10月1日 鉄道国有化により甲武鉄道の路線が国鉄となる
1908年(明治41)4月19日 中央線御茶ノ水~昌平橋(仮駅)間開通
1912年(明治45)4月1日 万世橋駅開業、昌平橋駅廃止
1914年(大正 3 )12月20日 中央停車場(東京駅)開業
1919年(大正 8 )3月1日 万世橋~神田~東京間の開通により中間駅となる
1923年(大正12)9月1日 関東大震災により万世橋駅焼失
1925年(大正14)春 焼け残った部分を利用し、2代目万世橋駅として復興
1930年(昭和 5 )1月1日 東京地下鉄道(現銀座線)上野~万世橋(仮駅)間開通
≪現在の万世橋交差点付近の地下に設けられた仮駅≫
1931年(昭和 6 )11月21日 東京地下鉄道万世橋~神田間が開通。地下鉄万世橋駅廃止。
1936年(昭和11)4月25日 鉄道博物館が移転し、万世橋駅と併設される
≪旧駅本屋の基礎を使って新たに博物館の建物を建設≫
1943年(昭和18)11月1日 営業を休止する(営業最終日は10月31日)
≪備品の一部は11月1日開業の新子安駅に運搬≫
ザウス・メモリーミュージアム