1981
1956
アメヤ横丁
松坂屋デパートは今盛んに増築中である(1956年)。
銀座・日本橋の中心街に向かう客は私をここまで引き止めるための止むに止まれぬ成り行きかもしれないが,限られた地域でデパートを取り巻く小露店街にとっては,人事と眺めておられる問題でもあるまい。
激烈な競争の中では,田舎臭い人情も次第にドライなものに仕上がっていく。
その典型的な部落が「アメヤ横丁」だということになりそうである。
国鉄上野駅から御徒町駅間のガードの両側を中心に約300件の店が密集している。
元は戦後のヤミ市。
「ベタ」と称するイモの汁を煮つめたものを売り出したのが始まりだと言うが。
今ではひとかどの問屋街にまで発展してきている。
その名に反かずアメを主体にした食品関係の店が多いが,子供相手の小資本の駄菓子屋さんはかなり遠くからここまで仕入に来るらしい。
失業都市東京で素人でも少資本で簡単に始められる商売は駄菓子屋さんである。
半失業者の親たちからかえりみられない子供たちが寄ってくるところが駄菓子屋さんである。
現在のアメヤ横丁がこうした切実の生活と要求によって支えられてきたとも言えるのだろう。
だがこの横丁の表情はそれほど単純で可憐では無い。
チョコレート・ガムの類ならさほど問題にはならないが,タバコに酒となるとちょっとうるさい。
そうした外国商品も闇ルートとにのって現れてくるのである。
衣料の山にも人だかりがしている。
子供マークもアメリカ製らしくできているが,実際はメイドインジャパンのものが多いと言う。
横丁の表情に険しいものが感じられるのもそのせいであろうか。
いずれにしてもここは東京の息苦しい生活の谷間である。
―東京歴史散歩,河出新書,高橋真一
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